2002

冬の寒さを実感す る [2002/12/03]
 
最近十二月が昔より華やかになった気がします。「灰色の冬景色」という言葉のイメージとは街はかなり違ってきました。多分クリスマスのイルミネーションのためでしょう。先日久しぶりに新宿の東口の方の通りを歩きましたが、街を歩いていると光り輝くイルミネーションが街を眩しいほどに彩っていました。
 
十二月の街の美しさは若い男と女の楽しさを表現しているような美しさです。
 
それはそれで大いに結構なことですが、でも正直なところ、必死で生きている人の持つ「生の実感」は街からは伝わってきませんでした。長いことそこにいたら飽きてくる気がしました。
 
昔読んだ「徒然草」の中に冬の朝早く起きて炭をおこして暖をとると言う話が確か出てきた記憶があります。その早朝の寒さが「冬だなー」と言う冬の季節を著者に感じさせたのでしょう。
 
今の若い人はそうした音が出てきそうな寒さを実感したことがないと思います。「そんな寒さはイヤだ」と言うかも知れませんが、それはそれでまた冬の季節を感じさせる寒さです。
 
今から思い出すと、小さな子供の頃、寒さをこらえて必死になって冬の早朝の作業をこなしていたことが懐かしいです。朝早く起きて、大きな火鉢から前夜の焼けてしまった炭の灰を捨てます。大きな火鉢が結構重くて大変なのです。そして七輪で新しく燃やして赤くなった炭を、その火鉢に入れ替えるのです。
 
そうした時の冬の寒さはピシットはじけるような寒さです。
 
そしてそうした辛い家の仕事の積み重ねが、今の僕の中に「生の実感」として残っているような気がします。やはり辛いことを逃げた人には「生の空虚感」しか残らないのだと思います。

恵みの秋 [2002/10/30]
 
しのぎやすい秋になりました。ホームページを見ていただいて有り難うございます。
 
晴れた秋の日は本当にすがすがしいですね。恵みの秋とはよく言ったものだと思います。確かに秋は豊かです。葉 が落ちて、土を肥やします。豊かな秋は与えることが多いのです。
 
秋のすがすがしさは、やれるだけやったあとのすがすがしさです。結果はどうであれ、やれるだけやったあとは私 たちはすがすがしい気持ちになります。
 
秋は私たちに人生はすがすがしく生きられるということを教えてくれている様な気がします。

そして秋の夜に空を見上げると夜空が高いことに気がつきます。

秋の色 [2002/09/19]
 
秋の色、それは紅葉の色。それは熟れた柿の色。葉が緑からすこしづつ黄色になっていく様には、思わずため息が出てくる。

黄色になりかけた葉の色は心の疲れを癒してくれる。

芳香な香りをあたり一面に漂わせ、しばし疲れた心を癒してくれる。

熟れた柿の色の灯りもまさしく秋の色。ひなびた山の小さな駅のうす灯りも柔らかな柿色。

秋の夕暮れに陽が西にとろりとろりと溶けていくさまもまた秋の光景。

山間の湖に映った葉の色は生きている神秘を教えてくれる。

ともすれば泣きたくなるような心の静けさを誘う秋には、熟れた色が似合う。

人生に置き換えると秋は一番成熟した年令かもしれない。

芽吹いていく春の匂いは躍動感を覚える。それは貯えている時の飛躍感。

ムンムンする草息は夏。強烈な刺激に突き動かされる時は灰汁の強い色があっている。

すべてを経験しつくした秋は一年で一番美しい季節。色の美しさ、匂いの香しさもさることながら、弱い心を強くかえてくれるのも秋。
 
秋は疲れた心、色あせた心、怠惰な心を優しく包んでくれる自然の恵み。

夏の夜空を見上げて [2002/08/01]
 
夏は色々なところで花火大会があります。
 
人は、花火をみて一瞬の輝きに魅力を感じます。
 
でも私は、ふと夜空に咲く花火に輝きと同時に脆さを感じます。
 
天空に開く華に人はみな讃辞とも驚嘆にもにた歓声をあげます。でもそれが終わったあと、人はなにごともなかったように三々五々と散っていきます。
 
それは虚勢をはって生きている人の自慢話しを聞いた後にも似ています。それはそれとして面白いから聞いただけという感じです。
 
夏は何事につけても、人は開放的になります。体を包む物がないということが心も解放するのでしょう。開放的な心は日頃の慎ましさを捨て去り、日頃馴染みのない生活を始めます。まるで今までもそうしていたかのように開放的な生活を送り始めます。

そうして今までの確かな生活を壊していくのです。
 
夏が終わると色々な問題がどこの大学でも起きます。夏の開放的な生活のツケを払う若者も増えます。
 
考えてみれば私たち日本人が南国の人と同じ様な生活をするのは所詮無理なのです。
 
それなのに私たち日本人は自分らしい生活をすてて、夏だからといって特別に開放的な生活をします。そして日頃の心の鬱積を吐き出します。それを見ているともしかすると夏以外の生活も本当の自分の生活ではないのではないかとさえ思います。
 
夏にある程度開放的になり、花火を見上げるのも良いでしょう。歓声をあげるのも良いでしょう。
 
でも花火を見上げるのと同じように夜空の星を見上げて、確かな人生を思い浮かべることも忘れてはなりません。
 
夜空の星は私たちに永遠のエネルギーを教えているのです。

梅雨 [2002/06/20]
 
自然は人間に力を与えてくれると私は思っています。私たち人間は自分勝手だから梅雨になると「憂鬱だなー」と梅雨空を仰いで恨めしく思います。
 
「梅雨は人間の心理的成長に必要なものだ」とはなかなか受け止めません。でも私は梅雨は人間の心を洗い流す時期だと感じています。
 
人間は成功しているときにはいい気になって浮かれすぎるものです。失敗すると必要以上に落ち込んでしまいます。そんな時にその成功で浮かれた足をしっかりと大地につけてくれるのが梅雨でしょう。浮かれた気分に流されていれば、そのつけはいつか必ずきます。
 
逆に失敗で現実をしっかりと認識できないほど落ち込んでいる時に、自分を正気に戻してくれるのが梅雨です。
 
梅雨の時期にあまり外を歩かなくても良いでしょう。家にいてじっくりと自らを振り返ればいいのです。
 
年に一回しかない梅雨です。「これもきっと自分に良いことなんだ」と思って梅雨の時期を過ごしましょう。
 
自然から学びましょう。雨の後に豊作がきます。いつも晴れていては実るものも実りません。
 
人生も泣いた後に実るものです。にじみ出る涙を体験したことのない人は愛の分からない人です。そういう人は幸せにはなれません。

緑から生きる力をもらおう [2002/05/06]
 
五月の緑は美しい。英語でも「美しき五月」と言われる。日本もやはり五月は美しい。
 
緑の季節を迎えると、色の美しさを感じることが「生きる」ことなのだとしみじみと思います。
 
私たちは緑に接して美しいと感動する。そしてそのことで色から生きる活力をもらっているのです。
 
もし色の美しさに感動することがなくなっていたら、私たちは自分の生き方を反省する時でしょう。そういう人はどこか生き方が歪んでいるのかもしれません。
 
何となく心に躍動感を感じない人は五月の緑から生きるエネルギーを引き出しましょう。そしてもし五月になって緑の美しさを感じることが出来れば、その人は今を活き活きと生きているということでしょう。
 
ハーヴァード大学の心理学のエレン・ランガー教授は、同じ手術患者でも、病室の窓から色鮮やかな落葉樹が眺められる患者と、窓からレンガの壁しか見えない患者とでは、手術後の在院期間や鎮痛薬の服用の量が違うという報告がある、と述べています。もちろん病室の窓から色鮮やかな落葉樹が眺められる患者の方が在院期間は短く、鎮痛薬の服用の量も少ないのです。
 
私たちは自然と切り離されては元気に生きていけません。

新緑の季節 [2002/04/06]
 
木々にも命の息吹を感じるような新緑の季節になりました。
 
考えてみると枯れ木から緑が出てくるのですから、大変な生命力です。私たち人間も、元気になる「気」を大自然からもらいましょう。
 
ところでこの新緑の季節はゴミや埃が目立つ気がします。
 
木々の息吹は何よりも生命の活力を感じさせます。そして息吹はものごとを綺麗にする働きがあるのでしょう。だから汚れが気になるのでしょう。

おそらく新緑の季節だけがゴミが多くて埃が多いというのではないでしょう。冬だってどこの家庭も同じようにゴミを出しているのですから。この季節が特別に町などの汚れが酷くなるというのではないでしょう。

でも汚れが目だつのは、心に活力があるために汚れが気になるのだと思います。心が萎えているとゴミが気になりません。
 
病気で心身共にまいっているときには、頭を洗いたくありません。病気が治ると汚れが気になって洗いたくなります。おそらく病気が治って清潔感が出てくるのでしょう。
 
大自然から気をもらい、いつも清潔感の漂う生き方をしたいものです。新緑の季節にはことにそう感じます。

ボストンより [2002/03/30]
 
現在ハーヴァード大学ライシャワー研究所準研究員をしているので、三月一日からボストンに来ています。
 
東京は桜が満開と言うことですが、ボストンは寒さが厳しいです。キャンパスを歩いていると凍えそうになる日もあります。
 
そんな寒いボストンで桜はなぜあそこまで美しく咲くのだろうかと考えました。

「奇麗に咲く桜ほど、人の目に触れている。もっと人に見てほしくて下に下にと枝をはるのだ。人がきれい!と感嘆する桜ほどしだれている」と言っていた人がいる。
 
変な言い方であるが、桜は人が好きなのだろう。だから人の求めに応じて綺麗に咲く。
 
桜は見る人の願いに応じて咲く。
 
これは桜ばかりでなく人間も同じだろう。女性が恋愛を始めるとすぐにわかると言う。感じが良くなるからだろう。「あの人の為に」と言うことで内面が充実してくるからだろう。
 
好きな人の為に頑張れば頑張るほどエネルギーが湧いてくる。社会の為に頑張れば頑張るほどエネルギーが湧いてくる。
 
相手が何を求めているのかわかれば、桜のように思いっきり咲くことができる。
 
人は一人ではなかなか頑張れない。一人では困難に耐えられない。
 
少年が不満になっても非行に走らないのは大好きなお母さんがいるからだろう。
 
それに対して見返してやりたいという復讐心から頑張るといよいよ顔が憎しみを表してくる。

新年の誓いを思い出そう [2002/01/23]
 
一月も半ばを過ぎました。もうじき二月です。
 
お正月気分もすっかりとれて仕事に勉強に励んでいることと思います。学生は試験が始まりお正月などとうの昔の話になったと思います。
 
お正月気分に浮かれていつまでも遊んでいるわけにもいかないので誰でもこうなるでしょう。
 
ただお正月に多くの人は何かを願ったり、誓ったりしたと思いますが、そのことはどうなったでしょう。おそらくだんだんと誓いの気持も薄れてきているのではないでしょうか?
 
今年は会社の帰りの電車の中で英語を勉強するぞとか、今年は丁寧な言葉を使うぞとか、今年は正しいマナーを身につけるぞとか、それぞれ色々なことを誓ったと思います。
 
でもいつしか気がついてみるとそれを忘れているということはないですか?もしかすると今年は日記を付けながら文章の勉強をするぞと誓った人もいるかも知れませんが、すでに日記をつけなくなっている人もいるかも知れません 。
 
いつの間にか日々はマンネリ化しているのが私たちだと思います。そこでこのマンネリ化を防ぐにはどうしたらいいか。それぞれ考えてはどうでしょう。
 
例えば毎月の始めに必ず新年の誓いを思い出す時間を作る、カレンダーに新年の誓いを思い出した後に印を付ける等々です。
 
お正月気分は消えてもお正月の誓いを忘れないように。