2001
冬の風と希望 [2001/12/11]
やがて冬が来ます。いや北の地域ではもう冬になっているでしょう。
冬の風は泣いています。ものみな音がない冬の中で風は泣いています。冬の風は愛を求めている風でしょう。だから冬の風は刺すような風なのです。
それなのに冬の日には、ものの影が薄いのです。その影の薄さが寂しさを感じさせます。
でもこうした冬がきてもいつか春が訪れると思えば、耐えやすいです。
同じ困難に直面しても希望があれば、それほどつらくは感じません。
希望が人生に果たす役割は計り知れないほど大きいのです。
僕はアメリカの精神科医のジョージ・ウエインバーグの「自己創造の原則」(三笠書房) と言う著作を訳しましたが、その中に「希望はあなたを捨てません、あなたが希望を捨てたのです」と言う文章がありました。
柿の実 [2001/11/19]
柿の実は全部とってはいけないと小さい頃聞きました。聞いてみれば、柿の実をカラスなどが啄んで、その時に下に糞を落として、それが土地を豊かにし、次の年にまた柿の実がなるのだということです。
なるほどなーと思います。自然の恵みと言いますが、もちつもたれつと言うことを忘れるとその恵みも貧しいものになるのでしょう。
それにしても柿の実がなり、稲が畑に束ねれられている風景は秋の景色ですね。
秋の風 [2001/11/06]
秋の風
秋の風に当たりながら皆さんは何を考えますか?
秋の風はフルーティーな香りがします。冬の風は無色、春の風は花の香りです。夏の風は何か重い匂いがします。
そしてフルーティーな香りがする秋の風は透明感があり、澄み切っています。それは澄み切った秋の空と同じ感触でしょう。
だから秋は街の色も、風が吹いてスッキリとしています。赤は赤で、緑は緑なのです。
そしてその秋の風に当たっていると、心が綺麗になる気がしてきます。風が心の汚れを洗い落としてくれるのでしょう。自分の人生を清めてくれる、そしてそのあとに潤いを与えてくれる、それが秋の風でしょう。
木に鳥がとまっている。それが秋の景色。
秋の雨 [2001/10/02]
緊張のアメリカから9月27日に戻りました。翌二十八日に研究室に出て川島啓君にあいました。
そして十月一日「月曜日」の日に初めて授業をしました。その日は雨でした。研究室からその雨を見ながら秋の雨は癒しの雨だなーと感じました。夏の疲れを癒してくれそうな感じがするのです。
人は自分を癒すのに他人からの言葉とか、お酒とか色々のものに頼ります。それはそれで人間の知恵でしょう。
でも癒しはそうしたものばかりではありません。自然と語らうのも大きな癒しです。
秋の雨は、雨の糸が長いのです。春の雨は、雨の糸が短いように私は感じます。秋の雨の糸は、すーっと細くて白いのです。いぶし銀のような糸の雨が秋の雨ではないでしょうか。
「お茶でも一服いかがですか?」と言いたくなる雨です。
ギラギラとしているのが、春の雨です。
涙の滴は秋の雨、眼ににじむ涙は春の雨、号泣は夏の雨です。
夏の思い出 [2001/08/04]
学生時代に僕はワンダーフォーゲル部に入っていた。そして沖縄の西表島の初横断に5人の仲間で挑戦した。西表島に行く過程で宮古島にも立ち寄った。その時に八重山農林高校の記念館に泊めてもらった。
その記念館には蚊帳がなかった。蚊よけの液体リペレントを何回も体中に塗り、その時に持っていったサンパーをまき、体の周囲にずらりと蚊取り線香を並べた。でも蚊は襲いかかった。蚊が顔にとまった時に顔を少し振るぐらいでは蚊は逃げなかった。
殆ど一睡も出来ないままに五人とも暗いうちから起きてしまった。翌日その睡眠不足の体で於茂登岳に登った。
そして頂上から珊瑚礁でおおわれている島全体が見えた。海岸線は砕ける波で白く続いていた。その素晴らしい景色は四十年たった今でも忘れられない。
仲間五人で戦った蚊の大群も過ぎてみれば、楽しい思い出である。
その時に楽をしても、後には何も残っていないと言うことがある。「あの夏は酷かったなあ、とにかく暑かったなあ」と語り合う。それが人生であろう。
暑い夏 [2001/07/23]
私たちはよく「暑いなあ」と友達とこぼす。しかし考えてみると「暑いなあ」と友達とこぼしながら、夏を過ごせるのが実は幸せなのではなかろうか。こぼしあえる友達が居ること、そしてそうした日常生活があること。その幸せに気がついていない人が多い。
歳をとって肉体的に衰弱してくると暑さ寒さをあまり感じられなくなってしまうと聞いた。
夏には「暑いなあ」と感じ、冬には「寒いなあ」と感じられるのは健康な証拠でもある。
暑い夏に、汗を拭きサッパリとして気持になるのは暑い夏だけの快感である。それに暑い夏ほど果物を始め食べ物は豊富である。あのカリフォルニアの夏は果物が豊富である。
「この冷たい水、美味しいなあ」と感じられるのも暑い夏である。木陰に入って「涼しいなあ」と感じる。これも暑い夏だけの快感である。
麦茶、スイカ、すだれ、草の匂い、蚊取り線香、ミーンミーンと言うセミの声。
一日の苦しい仕事を終えてお風呂に入り、一息つく。そして「あー」とため息をついてお風呂から出る。そこに待っているのがビール。みな暑い夏だからこそ味わえる快感である。
虫を見ても、この暑い夏に虫も「頑張って生きているなあ」と思う。そこで「自分も頑張ろう」と思う。セミは命が短いから必死で鳴いている。セミに負けないで自分も力の限り生きようと思う。
雨の音のリズム [2001/06/11]
梅雨の季節になりました。皆さん元気ですか?
雨の多い梅雨の季節は「ヤダナー」と思っておられる人も多いと思います。
でもしとしととふる雨の音を聞いていると心が落ち着いてくる。それはおそらく雨の音にはリズムがあるからだろう。風があるときでも雨の音にはリズムがある。
生命のあり方の基本はリズム性であると、テレンバッハは述べている。私達は昼と一つになり昼を生き、夜と一つになり夜を生きているという。私達は自分の方から環境のリズムを探し求めているという。テレンバッハは有名な精神病理学者で「メランコリー」と言う名著を書いたメランコリーの研究者である。
彼はメランコリー親和型の人は、そのリズム性を失っているという。例えば睡眠と覚醒のリズムが失われている。寝られなかったり、寝てもすぐに目が覚める。あるいは睡眠と覚醒のリズムが逆転する。
考えてみればもし心が憎しみに囚われていれば雨の音のリズムには注意が行かない。憎しみを心の底に持つメランコリー患者がリズムを失うのは分かる気がする。
四季の変化もリズムである。いつも一定の変化を保っている。「春だなー」と思っていると、いつしか梅雨になる。そして夏が来る。
四季の変化に慣れた私達日本人には、春の後に雨がなくていきなり夏が来たらきついのではないだろうか。きついというのは自分と環境との波長が合わないと言うことである。
4月の後にすぐに梅雨でもやはりきつい気がする。そして秋があって冬になる。
こうして四季のリズムが心の変化をさせてくれる。昼夜の変化も心の変化を起こしてくれる。そして私達は自分の存在に「固有の時」を持つことが出来る。
人間の心と体は深く自然と結びついて生きている。だから梅雨の季節が来たら、梅雨をしみじみと味わって生きるのが、日本人の自然な生き方なのだろう。梅雨の時には梅雨を生きるのが人間の本来の生き方である。
舞踏や歌を思い起こせばリズムは生命の泉であることが理解されるだろう。
季節と○○の日 [2001/05/27]
一年の内に「○○の日」というのがある。特別にその日はそのことについて考えたり実行したりしようと言うのであろう。五月五日は子供の日である。これは別に五月でなくても良いのだろうか。九月十日でも良いのだろうか。
やはり人々の気持ちとして子供の日としては五月五日が良いのだろう。五月は若葉が出て活気がある。再生の力を感じる季節である。そして家々に鯉のぼりが上がる。こうして人々は男の子にはエネルギーを期待しているのではないだろうか?
そして柏餅を食べる。柏の葉に求めているものが男の子に求めているものなのだろう。だから「子供の日」はやはり五月五日で九月十日では人々の自然の気持にそぐわない。
では女の子のための桃の節句の三月三日はどうだろう。桃には実がなる。桃は実がなって綺麗である。そして三月三日はアラレや甘酒を飲む。これも人々の女の子への願いなのだろう。
敬老の日が九月一五日から第二「三?」月曜日に変わると新聞記事に出ていた。それは連休の日にしようというのだから良いだろう。しかしもしこれが八月の暑い夏の日にしようというのであれば問題である。人々の自然の気持にそぐわない。
敬老の日はやはり「実りの秋」でなければ人々の自然の気持にそぐわない。敬老の日は、お年寄りがよく頑張ってここまで生きてきたという実りの秋がふさわしいのである。
今、何回も「人々の自然の気持にそぐわない」と言うことを書いてきたが、現代ではだんだんと「人々の自然の気持」そのものが失われてきた様な気がする。
そうなると子供の日は「やっぱり五月五日でなければダメだ」という理由がなくなる。それは自然と人との関わりが薄れてきたと言うことであり、人間の基盤が失われてきたということである。
生きるリズムが失われてきたと言うことでもある。それは人間の生きるエネルギーが失われてきたと言うことでもある。
緑の季節 [2001/05/21]
季節は人の心をうつし出す。春の木々の緑は落ち込んだ気持ちを引き立ててくれる。木々の緑を見ていると元気になる。芽吹いた木を見ていると「自分もやるぞ」と言う気になる。それは緑の葉に心を同一化して、美しい五月に溶け込むからだろう。
私は日本の学校や会社が四月に始まるのは自然の流れにあっていると思う。自然が華やかなときに出発する。春は出発へと自然が私達を誘導してくれる。
ところで春の緑に元気をもらえるのも心が無になっているときである。心が憎しみに囚われていれば、美しい五月に溶け込むことはできない。
心が無になっていなければ自然とは語れない。心に葛藤があれば自然とは語れない。復讐したいと思っている人は、木の芽には眼がいかない。
またさまざまの体験をして心がはぐくまれていない人も自然と語れない。はぐくむとは喜びや苦しさや悲しみを体験して育つことである。
夏を謳歌して「休みたいなー」と思うときには秋が来る。日本の秋は癒しである。自然はいつも私達の心を先導してくれる。
自然と語りながら時に心を癒し、時に元気をもらおう。
桜が散りました [2001/04/23]
北の方を除いて桜の花が散りました。日本はつくづくと南北に長いと思います。東京では桜が散って新緑の季節ですが、まだ北海道は新緑の季節ではないですよね。
桜の散った地域の人も、まだ桜の季節になっていない地域の人も、新入社員や新入生はそれぞれの環境に慣れてきたことと思います。
新しい環境に慣れることはエネルギーの要るものです。でもいつまでも「まだ新米だから」という言い訳をしないで、頑張りましょう。
そして「おはよう」と言う挨拶を忘れないで下さい。「挨拶」が気持ちよく言えるようになればもうそこは自分の場所です。また「ありがとう」と言える気持ちを忘れないでください。
それぞれの場所の行事に気持ちよく参加することを忘れないでください。また新しい場所では「教えて下さい」と言う言葉を忘れないでください。
そして「それは失敗だった」と認める自分でいてください。そうすればかならず新しい場所に慣れます。
我が加藤諦三研究室にも三人の学生が新しく入ってきました。みなもうすっかりと研究室になじんでくれています。ホームページの更新にも参加をしてくれています。
そのうちに自己紹介をすると思いますのでよろしくお願いします。
はかない桜の下で騒ぐ [2001/04/05]
しばらくコラムを書きませんでした。実はボストンに行っていました。帰ってくると桜は満開でした。
桜の季節になると私たち日本人はドンチャン騒ぎをする。墓地ですら桜が綺麗なら騒ぐ。夜桜を見物するのに平気で墓石に座って酒を飲んでいるという。
桜ほど日本人の欲求不満を解消しているものも少ないのではないだろうか。桜見物を口実にして騒いで日ごろの不満を解消する。桜見物という風流にかこつけて騒ぐから,どんなに騒いでも恥かしくない。これも私たち日本人の一つの智恵だろう。今の日本のストレスの多い生活を考えると必ずしも悪いとは言えない。
しかし私はどうもエネルギーの少ない人や刹那的に生きている人は「口実としての」桜が好きではないかと言う気がする時がある。
木の下でこんなに騒ぐ「お祭り」を私は諸外国では知らない。普通は「木の下」というのは考える場所である。
私たちも梅の季節には騒がない。梅は「凛として咲いている」と言う表現で咲き方を表される。梅には孤高の感じがするのであろう。咲いている時期は梅の方が長い。
桜は絢爛豪華という表現である。
しかし桜は「はかなさ」が特長である。パーと咲いてパーと散っていく。桜は刹那的に生きる人の心を慰めるのだろう。自分の刹那的な生き方を正当化するのに桜は役にたつ。そしてそうした人々が羨ましがるように人々は「綺麗ね,綺麗ね」と言って見る。
治癒力 [2001/02/27]
試験の発表の時期になりました。合格した人も不合格の人もいます。桜散るという電報をもらった人もいるでしょう。でも十年先を考えたら今桜が散った方がいいのか、咲いたほうがいいのか分りません。
散るも咲くも同じ桜の木です。
落ちた人は今は落ちた方が絶対に良かったと思う事です。今落ち込んでいたら、これが十年先の幸せの過程だと思うことです。そして不合格の受験番号を額に入れて飾っておくくらいの気持が必要でしょう。
三寒四温 [2001/02/22]
暦の上では春になり,少しずつ温かくなって来る気がします。昔から三寒四温といい,一気には暖かくならないのが自然なのでしょう。三日間くらい寒い日が続き,次の四日間くらい温かい日になり,それが繰り返されて春になる。この三寒四温という言葉は季節の言葉でもありますが,やはり人の幸せを表している言葉でもあると私は思います。
人間の幸せも三寒四温が一番望ましいのです。嫌なことが少しの間続いて次に良いことが続いて、それが繰り返されて全体として少しずつ幸せになる人が本当に最後まで人生を乗り切る事が出来ます。宝くじがあたった人をみれば分ります。突然の幸運は人を最終的には不幸にするだけです。アメリカで宝くじがあたった人を調査したテレビ番組を見ました。なんとみな不幸になっています。
ブナの木 [2001/02/17]
寒い日が続いています。でもこの寒い冬は生命を守り育てる季節だと私は思います。こうした季節こそ人間の心も育てるのです。
ブナの実が発芽するのは雪の中です。聞いたところによるとそのおかげで芽が鳥などに啄まれないで済むそうです。
そして雪が解ける頃には食べられないで済むまでに成長している。もちろんそこからはまた別の闘いが始まるのですが。
人生も同じことだと私は思っています。過酷でなければ意味のある人生にはならないのです。もしブナの木が「あー、雪が降らなかったらなー」と望んでいたら、ブナの大木はない。
そう思ってブナの木に興味を持ちインターネットで「ブナの木」で検索したらあまりにも多くのサイトがあるのに驚きました。次のはそのなかで坪田和人さんのホームページから得た知識です。
日本海側の多雪地帯で成長したブナの若木は雪に埋もれ、雪の中でねじ曲げられる。この試練の連続の結果ブナの枝や幹はねばり強くなっている。一方雪の少ない太平洋側ではこの試練がない。ために人がのれば簡単におれてしまう。
冬に分厚い雪に耐えるからこそ、ブナの木は粘り強い幹になると知って私は「やっぱり」と思いました。
エネルギーの使い方 [2001/02/05]
努力が嫌になった時、「どうにかなるさ」と開きなおる。
運命を切り開く気力がない時、「たまたま、運が悪い人生だった」と自分に甘えてしまう。
こうして、「生命の時間」を無駄に使って不平、不満、憎しみ、怒り、嫉妬をどんどん作る。その自分で作ったマイナスの感情を自ら背負って、せっかくの「生命の時間」をくいつぶしていく。
二度とない人生です。クヨクヨしているまにクヨクヨの心をとりさることにエネルギーを使いまししょう。
二月三日は節分でした。「鬼は外、福は内」と豆をまく。「鬼は外」の鬼は何と考えたらいいだろうか?それは心の鬼である。つまりマイナスの感情である。不平、不満、憎しみ、怒り、嫉妬である。執着を絶ち切ることである。
「福は内」とは今年一年よい事をしようということである。
節分は生活の新年である。悪い感情を吐き出して、今年も賢く生きよう。
「賢い生き方」と「愚かな生き方」 [2001/01/31]
この間お正月で二十一世紀の始まりと大騒ぎをしましたが、もう一ヶ月が経ってしまいました。早いものと驚いています。
人の一生は限られた時間しかありません。その限られ時間の使い方は人によってちがいます。
そして、その目にはみえない「生命の時間」の使い方の違いが「賢い生き方」と「愚かな生き方」となって表れます。つまり「愚かな人」は大切な時間を湧き水のようにつかっています。
人はなくなるものにたいして「もったいなさ」を感じます。そうして同じものなのに、なぜか大切にしようとする気持がめばえてきます。悲しいかな「生命の時間」は目にはみえないのです。
だから 私たちは「生命の時間」にたいして「傲慢」になります。いつまでも続かないと頭ではわかっていても、実際の毎日は永遠に続くがごとくの生きかたをしています。
自分の人生は「永遠」に続くと思う「錯覚」で生活をしています。生活は「生きている」と言う実感をすり抜けてしまいます。
「生命の時間」のなかで自分の人生を作っているとき、はじめて生きる喜びが生まれてくるです。
「自分を信じて、自分の欲することに全力を傾けなさい。」きっと、その道はあなたを守ってくれます。
苦しいことは悪いことばかりではない [2001/01/18]
お正月気分も消えたと思います。一月は華やかな『おめでとう』と言う挨拶で始まりますが、それが終わると緊張がとれるような気もします。
先のコラムにも書きましたが次第にお正月の意味が薄れてきたと思います。私の若い頃のお正月はとにかく「食べ物がある」と言うのが何よりの意味でした。昔は「お正月には食べられる」と皆が御正月を楽しみにしていました。お腹がすいても「お正月がくれば食べられる」と御正月を待ち望んだものです。それだけにお正月の意味はおおきかったです。
ところが豊かな時代になると、そうした意味でお正月を待ち望む人はいなくなりました。その意味でお正月は楽しい期間ではなくなりました。
考えてみると豊かになったおかげで「お正月が待ち遠しい」も「お正月には食べられる」という楽しみもなくなってしまいました。
私が言いたいのは食べ物の事ではありません。何か苦しい時に、この苦しさがあるからこそ、その苦しさを知らない人が体験しない喜びもあるのだと、自分に言い聞かせて頑張りたいと思うのです。
新年の挨拶 [2001/01/11]
明けましておめでとうございます。
十四年ぶりに日本でお正月を向かえました。昔に比べるとお正月らしさがなくなってきたように感じました。
またお正月の意味がなくなってきたと言う人もたくさんいます。それも分かる気がします。
でもお正月の意味は今でもあります。人間は一人ではなかなか前向きになれない時があります。しかし皆と一緒だとその気にもなります。また一人だと来月になったら前向きになろうと思ったりもします。
その点年が明けると皆が一斉に「今年は前向きに」と言う趣旨のことをいいます。そこで誰もが前向きな姿勢を示さざるを得なくなります。
ことに今年のように新世紀ともなれば皆が「前向きー」と叫びます。自然と誰もがその気になるのだからやはり今でもお正月は意味があるのでしょう。