海ツバメ

「海ツバメは、人のいないところがすきで、いつも海の上に暮らしている鳥です。人間にとられるのを用心して、海岸のたかい岩の上でひなを育てるといわれています。海ツバメが、たまごを生もうとおもって、あるみさきにきましたが、海にむいている岩を見つけて、そこでひなを育てました。あるとき、えさをさがしに出かけたあと、つよい風が出て、波がたかくなりました。海の水は岩のほらあなまであがってきて、ひなを殺してしまいました。海ツバメはもどってきて、それを見ると、こういいました。

『ああ、とんでもないことをした。陸はゆだんならないとおもって、ここまでにげてきたのに、海のほうがずっとたよりにならない。』」

絶対の安全など絶対ありえない。それなのに不安な人は絶対の安全を求める。人はどこかで「絶対の安全など絶対ありえない」と覚悟するしかない。
 
海ツバメが海岸のたかい岩の上を求めたように、安全、安全と思うとかえって安全でないことがある。「絶対の安全」を求めておかしな宗教集団に入って一生を棒に振る人もいる。

本当は別の会社にいきたかったのだが、こちらの会社のほうが安全な会社だと思って就職する。本当は別の人と結婚したかったのだが、こちらの人のほうが安全な人だと思って結婚する。しかし結果は惨めなことが多い。
 
「ああ、とんでもないことをした。陸はゆだんならないとおもって、ここまでにげてきたのに、海のほうがずっとたよりにならない」と言うような恨みを言う人は自分の安全ばかりを考えて生きて来てきた人である。愛することを知らなかった人である。人を愛したら自分の安全だけを求めることはない。

自分にとって都合いい人ばかりを求めて生きてきて、気がついて見たら、ひどい人ばかりに囲まれていたなどということがよくある。ずるく立ち回り、自分の利益ばかりを考えて生きてきて、最後に気がついたら、嘘で固めた人ばかりが自分の周りにいたということも多い。あまりにも利益ばかりを求めたために悲惨な人生を送る人もいる。

ある我欲に徹した人が人生の最後に書いた日記がある。「本当のものが見えてきた、本当のものが見えてきた」としきりに書いてある。要するに自分の周囲にいる人達のことを書いているのである。自分の周囲にいる人達は皆ずるいということが分かったということである。
 
周囲の人達は皆自分を利用しようとしているずるい人達ばかりだと彼は嘆いている。しかしその老人が気がついていなかったことは、その人達を集めたのは自分自身だったということである。彼は自分だけの安全を求めて、人を愛することを知らなかった。自分にとって都合の言いことばかりを言う人を自分の周りに集めた。自分の利益になると思ったからである。利益で安全が手にはいると思ったのである。彼がそこまで自分の利益だけを求める我利我利亡者でなけっればもっと違った種類の人達が周囲に来たのである。自分がずるいから周囲にはずるい人が集まった。
 
自分の利益に都合いい人達ばかりを集めようとして、気がついたら、逆に自分が利用されそうな質の悪い人ばかりが周囲にいたということである。自分が退けてしまった人達のほうがずっと優しい人だったということである。海ツバメの様に「ああ、とんでもないことをした」と人生の最後で言わないようにしたいものである。
 
人を恨む前にそういう種類の人を周りに集めた自分を反省すべきである。自分の周囲にいる人を「利己主義者ばかりだ」と嘆いている人は、たいてい利己主義者である。自分の周囲にいる人を「冷たい人ばかりだ」と嘆いている人は、たいてい冷たい人である。