「良い子」は仕事熱心で、真面目な人に見える。

彼らの真面目さはもともと人から好意をもってもらうための真面目さである。それは好かれたいための真面目さで ある。ではなぜそんなに好かれたいか?それは「良い子」は孤独で淋しいから。
 
孤独な「良い子」は拒否されることで心理的安全を脅かされる。そこで「良い子」は拒否されないために無理をし て勉強する。愛されるために無理をして仕事をする。
 
「良い子」は孤独である。それが全ての出発点である。大人になれば大人になったで孤独から自分を守るために仕 事熱心なビジネスマンになる。
 
勤勉だったら愛してもらえると思うから「良い子」は勤勉になる。しかしハードワークな子供でないと愛されない と思ったら、その子供は可哀相である。その可哀相な子供が「良い子」である。
 
子供のハードワークが親の心を慰める。だから親は子供のハードワークが好きなのである。こうした親は子供を愛 する能力がない。
 
子供が成績良ければ親はほめる。しかしそれだけでは子供は心理的に成長しない。成績が良くて誉めていいが、い や誉めた方がいいが、それが望ましいのは子供を好きだと言うのが前提である。誉めることは子供を好きと言うこと ではない。
 
親が子供に自分の心の中の願望を外化しているのでは子供は本当の意味で発奮しない。親が子供を好きでない場合 には、誉めても子供は恐怖から努力し、燃え尽き、やがては劣等感に悩む様になる。
 
この野原に油田が出る。だから「この油田が好き」では駄目。この野原は臭いと言われても好き。その時に野原が 本当に好きと言うことである。そしてその時に野原は燃える。