体罰がいいか、悪いか?

よく子供の教育として体罰がいいか、悪いかの議論が出てくる。体罰の影響についての一般的な調査の結果は体罰は望ましくないと結論していいだろう。アメリカのある心理学の教科書に厳しい体罰について二七の調査の結果がまとめられて載っている。何を持って厳しいというかは一般的にそのコミュニティーで他の親によって行われているより厳しいという意味である。
 
厳しい体罰はそのときには子供を従順にするので、親は体罰は教育に効果的と考えがちである。しかしその不満はその子のなかにたまったままで後に学校や、両親や、社会に対して暴力的に吐き出される。二五の調査は家での暴力は後の社会、先生、他の子供に対する暴力と関係があるとしている。厳しい体罰を受けた子供は反社会的な大人になる傾向が、そうでない子供より強い。ことに男の子はそうであり、小学校で「問題の子供」になる傾向が、厳しい体罰を受けない子供より強い。
 
体罰は子供を反社会的、攻撃的にするばかりではなく、時に引っ込み思案にする。東テネシー州立大学の社会学教授ギルマンチンはシャイな男子大学生300人と自信のある大学生200人にインタビューをして調査をした。それによると[ベルトを使う体罰]はシャイの親の82%がしているのに自信のある大学生の親は56%。紐を使う体罰はシャイの大学生の親の19%。非シャイの大学生の親は0%。服をかけるハンガー等を使う体罰はシャイの大学生の親の12%。非シャイの大学生の親は0%。答えは明らかなのである。
 
ただ私はここで見逃してならないことがあると思う。それは子供を嫌いな親が体罰をすれば、子供の心は傷つく。厳しくない体罰でも望ましくない。子供を好きな親が体罰を加えても、子供の心は傷つかない。厳しくない体罰は時に許されると私は思う。
 
つまり私は体罰そのものよりも親が子供を好きか、好きでないかが本質的な違いだと思う。子供を好きな親が犬をつなぐ紐を使う体罰をするとは思えない。
 
つまり厳しい体罰の問題は体罰そのものよりも、それをする親の愛の欠如が大きな問題なのである。そしてそうした親が反社会的な大人や社会からひきこもる大人を作り出していく。
 
ただ体罰にも色々な種類がある。頬を殴るのはダメ。手を打つのはいい。パーンと手を振り払うのはダメ、頭を押さえるのはいい。
 
愛情が自然と体罰の仕方に表れる。