「これなら子供はおかしくなるわ」という親ばかりであった。

親の態度がいかに子供の自信に大きく影響するか、こんなことは今や常識となっている。精神分析の研究成果で幼児期がいかに人間形成に大切かは今日では多くの人が知っている。
 
ここでは社会学者の調査をもとにそれを考えたい。東テネシー州立大学の社会学教授Brian Gilmartinは「恥ずかしがり屋の男症候群」という本を書いた。自信のある男子大学生とシャイな男子大学生の子供のころの調査である。

[父親と会話を楽しんだか-しばしばでない]についてみると自信のある大学生300人では何と0%で、シャイな人のほうでは若い人で37%、年配で43%である。
[子供の言うことに関心がない]両親は自信のある大学生では0%。若いシャイな人の両親では45%、年配のシャイな人の両親では52%である。
 
0%という数字は統計的には物凄く恐ろしい数字である。そんな人は一人もいないというのだから。
 
私たち親が子供にどんなに立派なことを言い、どんなに会社で立派な業績をあげていても、子供から見て「自分達子供の言うことには親は関心がない」と思われる親では子育ては失敗していると考えていいのだろう。
 
上司の言うことには異常に関心を持つ、上司の顔色は伺う、部下の評判は気にする、しかし子供の言うことにはあまり関心がない、時には「お父さんは疲れている」と言って煩くさえ感じる。そんなエリートビジネスマンはそのうち子供がなぜか問題を起こして苦労することだろう。
 
子供が問題を起こすと自分が原因であることに気がつかないで奥さんの責任にしたり、現在の受験制度の責任だけにしている父親が多い。
 
私は4年間ほど大学で学生担当教務主任という役職をしていた。その間多くの学生が様々な問題を起こした。そこで両親とあうと感じることはこれである。自分の子供に関心がない。有名企業の部長さん、有名銀行の役員さん、皆子供に関心がない。
 
子供はどんな気持ちで大学で生活していたのか、子供のノイローゼはどうしたら直るのか、そうしたことよりも彼等の関心は自分のポストである。私に会うと先ず子供の大学での生活を聞くかと思うと、そうではない。驚くことに「いかに私が偉いか」ということを誇示する。
 
「これなら子供はおかしくなるわ」という親ばかりであった。子供のノイローゼを直すために献身的に尽力した先生にはお礼の葉書一枚よこさない。しかしおそらく上司にはお中元をかかさないのだろう。