[新聞コメント補足] 1979年とは (2020.10.24 朝日新聞 be)

掲載: 2020年10月24日(土) 朝日新聞 (be 4面) 「47都道府県の謎「口裂け女」の都市伝説、岐阜からなぜ広がった」


考えて見ると、1979年は、典型的な「神経症的不安の時代」です。

1968年「プラハの春」と言われた時代がありました。同年5月には、5月革命と言われるソルボンの学生が騒いで、あっという間に世界に伝播しました。
初めて“存在の不満”ではなく、“実存の不満”からの革命です。

当時私は、大変な時代が起きたと思って、『サンデー毎日』の若者の取材でヨーロッパからアメリカ、オーストラリアの若者の話をききながら世界を歩きました。世界の若者たちは興奮していました。
ところが、ご存知のようにプラハの春はあっという間に終わり、1970年代はじめには、あの過激な学生運動が衰退しました。

1975年サイゴン陥落でベトナム戦争終結、これで完全に全共闘の反体制運動の時代は終わりました。
ところが、新しい時代が来ると人は希望を持ったわけではありません。目の前にあったのは荒廃だけです。
それらは、歴史の流れの変化を感じる時代でした。
それが1979年です。

前には、希望に燃えた反体制運動や、新しい思想誕生の時代があり、それが完全に終わっていました。
1979年は、次に始まる時代は見えていませんでした。これが「神経症的不安の時代」です。

ところが、1989年11月ベルリンの壁の崩壊、1991年12月ソビエト連邦の崩壊などでマルクス主義が衰退して、理論を声高に主張することもなくなりました。冷戦の時代が終了したかに見えました。これは「希望の時代」です。
この二つの時代の中間のポッカリとした空白が1979年です。
しかし、冷戦の時代が終了したかに見えた希望の時代の裏で、人々の心の中では幼児化が、隠れて進んでいたようです。

<幼児性は偽装がうまい>
今の“◯◯ファースト”も、日本の少子化や子育て政策の失敗も、偽装された幼児性がそのような形で表に現れてきたものにすぎません。
そして今、1979年時代の神経症的不安の上に、現実のコロナの現実の不安が起きました。

今回のコロナに対する世界の対応の不手際も、根源的には1979年時代の神経症的不安を解決できないままに時が過ぎて行ったことです。人々には心の土台がないのです。

「神経症と精神的健康の基準は社会とは無関係なのです。」[註、George Weinberg, The Pliant Animal]

<デマは“外化”>
心の中で起きたことが、現実に起きているとみてしまうことです。
信じたいという感情があるから流布されるのです。だからデマはなかなか消えないのです。
解釈の仕方に自我価値がかかっているからです。その認識の仕方を変更できないのです。偏見のパーソナリティーです。

<偏見のある人は、欲求不満な人>
偏見は価値剥奪から、自分の価値を守っています。
グローバリズムの不安な時代に、人々は現実に耐えられなくなってきました。
現実を通して、自分の願望を見ているだけのことが多いのです。

Allportの本に、次のようなデマの心理の説明があります。

「500名を越える婦人兵が私生児を身ごもったために除隊された。妊娠した500名の婦人兵が北アフリカから呼び戻された。この噂を裏付ける根拠は何もない。数字の上から見てデタラメ。
このデマは他の多くのデマとは異なり、慎重に事実が報道されてからも消え失せなかった。

もっと根深いところに障害がある。感情に深く潜んでいる。
心の応接間と裏部屋がある。禁断の小部屋に入るには裏階段が用意されている。」

この原因は投影です。
欲求不満な人は、自分の「心の裏部屋」で生じた感情を、唯一の事実と思い込みます。

「ある人の感情が、知らぬまにその環境の解釈に反映されている場合、われわれはそれを投射と呼ぶ。」

偏見の恐ろしさです。
「一億 借金がある」と言う噂の方が信じられる。「宝くじが当たった」という方が信じられない。

Allportは「人は心の応接間と禁断の裏部屋とを持っている」と言います。
「入るのには正面玄関ではなく、裏の階段が用意してある。」と。

他人の欠陥とか、不道徳についてのデマは、裏階段を上がってやって来ます。

と言うようなことで、
1979年の噂は、それなりに正面から考察する価値があります。