59. 人間の成長は対象喪失から再生へのプロセスで決まる(『愛されなかった時どう生きるか』)

『愛されなかった時どう生きるか』より

私は挫折そのものが人間を深くするとは思わない。よく若い頃は挫折したほうがよいと言う人がいる。私はこの意見には賛成できない。
 
ただ、挫折して、苦しみ悩みつつ、怒りつつやがてそれを受容し、そして気持を整理して、遂に新しい情熱の対象をみつけていくということで人間が深まるというのには賛成である。
 
このようなプロセスを経ることによって人間は深まる。しかし世の中には挫折から再生へのプロセスをきちんと経ることのできない人がいる。
 
神経症の人、執着性格の人、うつ病の人、ひねくれてしまった人等々である。
 
対象喪失を最終的に素直に受容できず、歪んだ解決でそれをのりきろうとする人がいる。いろいろと言い訳する人である。
 
夢がかなえられなかった時、すっぱいブドウの言い訳をする人がいる。そのような人は肉体的には年をとっていくが、情緒の成熟は年齢についていかない。
 
人間の成長は対象喪失から再生へのサイクルをきちんとくり返すなかでなしとげられるものである。
 
出世の夢が破れた時、心の底で出世にあこがれながら「出世なんてくだらない」という人がいる。事業に失敗した時、成功にあこがれながら「あんな汚いことをやって成功したくない」という人がいる。恋人にふられた時、心の底であこがれ求めながら「あんな女と別れられてせいせいした」という人がいる。
 
これらの人は対象喪失から再生へのサイクルを拒否してしまった人である。人間としての成長の機会を拒否してしまった人である。

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