平気で他人を攻撃する人たち
ことが起きたときには、「この本質は何か?」と考える必要がある。
起きたことは本質ではない。それは現象。現象と本質は違う。
だから、ことが起きたときには、それが何事であれ「この本質は何か?」と考えることが大切なのである。
なぜかいつもイライラしている人がいる。なぜかいつも人を批判している人がいる。なぜかいつも心配ばかりして解決の行動を起こさない人がいる。
なぜかいつも「あの人を許せない」と怒っている人がいる。
こういう人は、実は別のところに本当の理由があることがほとんどである。
いつも激しい怒りで「あいつを許せない」と言う人がいる。実は怒りの本当の原因は「あいつ」ではないことも多い。
本当は別の「あいつ」が許せない。しかしその「あいつ」が強い。
そこで憎みやすい人の些細なことを取り上げて「お前を許せない」と攻撃性の置き換えをする。
「彼女の不安を処理しようとする主な方法は攻撃と敵意の仕返しをすることである。」「註、Rollo May, The Meaning of Anxiety, W.・W・Norton & Company・Inc. 1977小野泰博訳、不安の人間学、誠信書房、昭和38年7月25日、237頁」。
本当の怒りの原因になっている人に仕返しをするなら良いが、時にお門違いな人に仕返しをしている人が多い。
「攻撃性の置き換え」は、ある特定の人への攻撃性が、別の人へ置き換えられることである。
悩みや嘆きというのは、対象無差別な攻撃性である。
なぜ「攻撃性の置き換え」をするのか?
攻撃性の本当の対象を認識できないのには、もちろん原因がある。
そしてその原因を取り除かない限り、人は攻撃性の置き換えを続ける。しかしその道の最後はデッド・エンドである。
攻撃性の置き換えは、自分が怖れている近い人への怒りに直面することから、自分を守ってくれる。
上司と勝負出来ないと言う真実の問題から自分を守ってくれるのが、妻への非難である。
憎むことが危険な人への憎しみは、憎んで危険のない人への憎しみに置き換えられる。
攻撃性の置き換えによって自分の心の問題から逃げていられる限り、本当の攻撃の対象には立ち向かわないですむ。
表向きの怒りの裏に真の怒りがかくされていることである。
どの様なトラブルであっても、どの様な怒りであっても「この問題の核心は何か?」と言うことをつかまなければ真の解決にはならない。
怒りと悩みとトラブルの核心をつかむ。
「この人を嫌い」という時には、この人ではなく、本当に憎しみを持っている人は違う人であることがある。
心理的に楽をしたいから、あえて本当の憎しみの対象を見ないで、別の人に攻撃性の置き換えをする。
「置き換え」とは或受け入れがたい感情、欲求をより受け入れやすい関連のある対象に振り向けることである。
偏見は攻撃性の置き換えである。偏見の人は欲求不満な人である。
この本では最初にその「攻撃性の置き換え」について多くの視点から具体的に考えてみた。
次に、今の人間関係のトラブルは過去の人間関係の未解決のトラブルを移し替えたものであることがある。
現在付き合っている人とのトラブルの本質は、実はその人との関係の問題ではなく、その人と関係ない過去の人間関係の未解決な問題が移し替えられていることがある。未解決の過去の人間関係が。今のトラブルの真の原因であることが多い。
これら二つの問題について考えた。
出版社: 大和書房 (2019/1/24)
言語: 日本語
ISBN-10: 4479640436
ISBN-13: 978-4479640431