ウシひきとヘラクレス

ウシひきが、ある村へ車をひっぱっていきますと、車がくぼみにおちました。だれかに力をかりなければなりません。ところがウシひきは、自分は何の手だしもせずに、そこへ立って、ヘラクレスの神に祈りました。何かにつけて、特別この神さまをうやまっていたからです。この神さまはそこにあらわれて言いました
 
「車の輪に手をかけて、ウシをたたけ。まず自分で何かしてから、神に祈れ。おまえのようにぼんやり祈っていてはいけない。」

人に「ここに井戸を掘ってくれ、掘ってくれ」と頼んでもなかなか掘ってくれない。言うだけではなかなか動いてくれない。「こうしてくれなくっちゃー困る」と言ってもこうしてくれない。しかし一人でそこに井戸を掘り出せば、「どうしたんですか」と言うようなことを言って、人が集まってくる。
 
手でもいいから自分で掘り出す。その姿を見て、人は動く。自分が何かをする。それいがいに手はない。

このイソップ物語を読んだときにアメリカの「希望の力」という本のなかに出ていた話しを思い出した。ミシシッピ河が氾濫したときの話しである。ミズーリ地方の人々は皆避難した。しかし歳とった一人の紳士は差し伸べられた全ての助けを拒否した。彼は自分の家の屋根の上に登り、神に、自分を助けるように祈った。
 
水は高くなるばかりでレスキューのボートが彼を助けに来た。しかし彼はボートに乗るのを拒否した。水はどんどんたかくなり第二のボートがまた助けにきた。彼はこれも拒否した。そして彼は頑なに神の助けを待った。
 
彼はいよいよ危なくなった。ヘリコプターが助けに来て、上から縄の階段を投げた。そしてそれに捕まって登ってくるように説得した。しかし彼は「神が私を救う」と言い続けた。
 
そしてついに水が膨れ上り、彼は飲み込まれた。その話しのタイトルは「自分でする」と言うタイトルである。要するに神の助けとはそのボートのことであり、ヘリコプターのことである。何もしないで助けてくれと言っても神は助けてくれない。