● 2019年6月15日(土)、6月22日(土) 朝7:00〜7:30 「ひょうごラジオカレッジ(兵庫県高齢者放送大学ラジオ講座)」出演

「ひょうごラジオカレッジ」(ラジオ関西にて、毎週土曜 朝7:00〜7:30 放送)
※ 放送後 約一ヶ月間、放送ライブラリにて、インターネットを通してお聴きいただけます。

■6月15日(土) 朝7:00〜7:30
『怒ることで優位に立ちたがる人 』青春出版社

怒りの原因が、今の怒りの対象である場合には分かりやすい。しかしその原因が、怒っている人の無意識にある場合には分かりにくい。例えば不安な人は、相手を攻撃することで、自分の心理的安定を求める。

 ある人の何気ない言葉が、その人の「過去から蓄積された憎しみ」に火をつけてしまったと言うことがある。

 だからちょっと人がなにか失礼なことをしたと言うだけで怒りが収まらない場合がある。

 その場に不釣り合いな怒りを表現するときには、その人の中に怒りの抑圧がある。

 小さい頃から敵意を次々に抑圧していくと、敵意がその敵意の対象から解離して一般化する。もう誰も彼もが憎らしくなる。

 ちょっと失礼なことというだけで、心理的に不安定になり、ベッドに入ってからも怒りが収まらない。怒りでなかなか眠れない。

 それは敵意が、単にある人への隠された憎しみと言う段階からさらに別の人への隠された憎しみと複雑に融合し、変容し深刻化しているからである。

 そうした敵意が、心の中に表現されないままに慢性化してくる。

 敵意が慢性化していると言うことは、その人は「すぐに怒る性格」だということである。

 特定のある人に怒っているのではない。誰であっても怒りの対象になる。怒りの導火線にたまたま火をつけた人に向かって、それまでに溜まった怒りが爆発する。

 些細な失礼で、その慢性化している隠された敵意に火がつく。そして慢性化しているから、常に怒っているし、一度怒るとちょっとやそっとのことでは怒りが収まらない。

 心理的健康な人は、何であんなことであそこまで怒るのかと不思議がる。なんでいつまで怒っているのかと不思議になる。

 何かで怒るのは自然な感情である。しかしその怒りの大きさは怒りの原因よりはるかに大きかったということが問題なのである。

 何でもない日常会話のような言葉に対する過剰反応は、その人が想像を絶する蓄積された怒りを持っているという証拠でもある。

 相手の態度が、その人の幼児期からの屈辱的な数々の感情的記憶をその人によみがえらせたのかもしれない。ただ本人にはその意識はない。ただその時の相手に向かって怒りを吐き出している。

 小さい頃から怒りを隠しているので、周りの人皆が嫌いになっている。

 小さい頃の抑圧された怒りは表現されていないから大人になっても消えていない。

 何となく漠然とした敵意を世の中の人々に持っている人が居る。敵意とまではいかないが漠然とした不満を持っている人もいる。

 実は親子関係で傷つきつつ基本的不安感を持ちながらも、意識の上では仲良い家族と意識していた場合がある。

 不安な人は怒ることで優位に立ち、そのことで不安を解消しようとする。

■6月22日(土) 朝7:00〜7:30
『今の悩みは無駄でない』三笠書房

私はジョージ・L・ウォルトンと言う人の「なぜ悩むのか?」「Why Worry?」と言う本を訳した。それはもう百年以上も前に出版された本である。その本に「英雄崇拝論」などで名高いイギリスの言論人カーライルが自分の身体的な欠陥に対して、どんな態度をとっていたかが書かれている。
 ここで困難に対して対処能力のない人の典型としてカーライルを考えてみたい。
 「何とも言いようのないあがきと苦しみの餌食です。しかも、それらは私の神経を大いに逆なでします。雑音がいつも耳について、三週間全く眠れません」。
 本来、病気でもなく朝、目が覚めたら、「今日もこうして穏やかな朝を迎えられた」と感謝しなければならない。
 それを「三週間全く眠れません」とか「ぐっすりとねむれなかった」とか「寝坊してしまった」とか「朝ご飯が美味しくない」とか、今の状態からさらに多くを求めるから気持ちが落ち着かなくなるのである。
 無事に時間が過ぎていると言うことは大変なことなのである。それをさらに多くを望んで、例えば今日の仕事が効率よく進んでいくことを求める。そして効率良くすすんでいかないと焦ってくる。
 毎日が不満だと人は大きな喜びを求める。フレデリック・スカイベークと言う人は「人の幸福は、大きな楽しみの問題というよりむしろ、ささやかなものの問題かも知れない」と述べている。
 ささやかなことの積み重ねの中で真の幸せは来る。
 カーライルは自分が健康であっても、非現実的なほどの完璧な健康を求めている。そこで、健康でも苦しむことになる。
 「不健康、それはあらゆる不幸のなかで最も恐ろしいものです」とカーライルは言う。
 おそらくカーライルは失恋すれば「失恋、それはあらゆる不幸のなかで最も恐ろしいものです」と言うであろう。そして貧乏になれば「貧乏、それはあらゆる不幸のなかで最も恐ろしいものです」と言うであろう。
 「だんだん病気が悪くなっています……私が欲しいのは健康、健康、健康です! 健康のことで、私はひどく腹をたてています。……すぐに回復しなければ、私は永遠にみじめな存在となるでしょう。、、私の現在の悲惨な状況の
 九割、そして私のあらゆる欠点の九割以上が、このいまいましい胃の不調のせいだ」
 胃の不調な人はたくさんいる。それでもカーライルの様に苦しんでいない。
 それはカーライルの様に飛び切りの健康を要求していないからである。カーライルの様に欲張りではないからである。
 人は欲望が強すぎて現在の状況への対処を間違える。そういう人は自分で自分の問題を造っている。
 アメリカの精神医学者シーベリーは「不幸を受け入れる」ということを言っている。そうすると「することが見えてくる」という。