他人の願望が自分の願望より意味のあるものに思えて来る。

他人の期待にしたがってのみ生きていれば自分は何をこの人生でしたら良いのかと言うことが分からなくなる。自分の内面に湧き出るものを感じることが出来なくなる。

これをイソップ物語風に説明すると次の様になる。

イノシシが像のように大きくなり、皆に凄いと思われたいと思って、像と同じ食べ物を食べて、像と同じ生活をすればいいと思った。

そこで食べられない草木を無理をして食べているうちに、胃を壊し、栄養失調になり、生きるのがイヤになった。

「良い子」は親や周囲の人に気にいられることばかりに気を使い、成長への願望も失い、同時にその能力も失ってしまったのである。

他人の願望によって行動を選択すると、他人の願望が自分の願望より意味のあるものに思えて来るとアメリカの精神科医のジョージ・ウエインバーグは言う。

これをまたイソップ物語風に説明すると次の様な物語になる。

犬が川で泳いでいた。疲れたので川から出ようとしたら、それまで一緒に泳いでいた魚が怒った。そこで犬は川から出るのを止めた。そして消耗して死んでしまった。

人の期待に合わせて、人に好かれるために生きていると最後には「私という人間はどういう人間だったのか」と後悔する時が必ずが来る。必ず自分は「生き方が間違っていたのか?」と悩むときが来る。他人は自分の人生に責任を負ってくれるわけではない。
 
自分があるとは、こうしたときに「魚さん、私は魚のあなたとは違って、陸で生きる犬なのです、今は一時的に、犬かきを楽しんでいたのです、また機会があたら会いましょうね」と魚と別れることである。