心の教育とはどういうことか?(1)

新聞によると、有馬文部大臣(当時)が首相官邸での就任の記者会見で「心の教育の推進に最大の力を入れていく」と語った。それから久しいがうまく行っているとも思えない。そこで私なりに心の教育とはどういうことかについて書きたい。
 
小さい子が人が持っている飴をほしがる。そして相手の飴をとろうとする。「その飴、ちょうだい」という。相手が「嫌だ」という。
 
するとその小さい子は何というか。「ちゃんと、ちょうだいっていっているじゃないか」と怒る。つまりそう言って自分のしていることを正当化している。そしてくれなければ「いじわる!」になる。相手の現実がない。「欲しいときにはちゃんと欲しいといいなさい」と形を教えるのが心の教育ではない。

先ずこの子が誰からでもアメを取ろうとすれば心の教育が出来ていないと言っていいだろう。アメを欲しがる子供の側に「この人にならもらって良いだろう」という判断が出来ているかどうかである。心の教育は何をするにも相手との関わりが条件であると教えることである。
 
また「あの子には意地悪されたから、アメを取ってやろう」と思うことは子供の心理からすれば自然であろう。兄弟だからアメをくれるだろうと思っていたら、くれなかった。そこで「許せない」という気持ちになる。しかし未知の人にこの感情を持てばおかしい。
 
つまり「誰でもアメを持っていればくれるだろう」と思う子供は心の教育が出来ていない。と言うのは自分と周囲の人との関係が分かっていないからである。人をものと考えているからである。心とは関係を理解することである。
 
大人が区役所に行っていきなり「年金下さい」と言ったら相手は驚くだろう。そして「下さい」と言っているんだから、とその人が怒ったらどうなるか。