「良い子」には楽しい会話がない。

自然な子にとっては、食べることは楽しむことである。しかし「良い子」にとっては食べることが時に義務になる。するとお菓子を食べてもラーメン食べても同じことになる。お菓子を食べるときの楽しみ方とラーメンを食べるときの楽しみ方は違う。そのうえ義務で食べていると「残しては行けない」と思う。
食べることばかりではなく「良い子」や「良い人」は楽しみではなく、常に義務感で行動している。「良い子」は他人に迷惑をかけまいとし、礼儀正しいが、付き合いを楽しんでいないし、相手に対して思いやりがない。

また「良い子」には楽しい会話がない。
母と子の会話が、ふれあいとしての会話になっていない。
今の子供は母親との話しではいつも責められている。そこで子供は母親と話をする時には、また文句を言われると思ってしまう。「良い子」は母親との会話が楽しくない。

子供は病気が怖いのではない。子供は病気になると責められることが怖いのである。

子供が「歯が痛い」という。すると母親から「甘いものばかり食べているからよ」と叱られる。

子供が「熱がある」という。すると母親から「冷たい水にいつまでも入っているからよ」と責められる。

あるいは教えることもしないで、いきなり高度なことを要求して「なんでこれくらいのことが出来ないのよ」と子供を責める親が多い。
そうした親は大きな目標を言うことで自分が恰好つけているのである。子供のことを考えてはいない。日本の家庭では指導がなくて、ただ責められる子供が多い。

あるいは「良い子」の母親は子供に干渉をする。

子供がある友達と遊ぼうとする時に、「あの子と遊んじゃーダメ」と言う母親もいる。

子供が自分達と異なる価値観の人々と接することを妨げる。こうして子供の創造性を殺してしまう。子供を創造的にするための条件の一つは子供が自分達と違った価値観をもった友達と接することを許すことである。「註、Lawrence A. Pervin , Personality、 John Wiley & sons, INC」

子供を責めている親はたいてい子供のことを気にかけていない。子供に関心がないのだろう。例えば子供を責めている母親や父親は子供が怪我をしないように心掛けると言う様なことがない。

母親は子供を責める話しでなければ誰かの悪口である。子供を愛している親は子供の問題を一緒に解決してくれる。