一緒に食事をしたり楽しくはなしたりすることが教育だと言う考え方

世界の長寿地域として有名なコーカサス地方の話である(注:Sula Benet, How to Live To Be 100, Library of Congress Cataloging In Publication Data, 1976, p66)。この地域の人々は何よりもお客さんを大切にする。そしてお客さんと一緒に食事をすることを楽しむ。人を親切にもてなすことがコーカサスの文化の本質であるとその本の著者は述べている。
 
私が関心を持ったのはコーカサス地方では、人をもてなし、一緒に食事をすることは若者にとっての訓練の場であるということである。一緒に食事をしたり楽しくはなしたりすることが教育だと言う考え方に興味を持ったのである。そしてこのもてなしの食事の場がその社会の伝統を学ぶ最高の教育の場であるという。最も豊かな教育の機会が一緒に食事をすることだと言う発想が私たちにあったろうか。一緒に食事をすることが最高の教育というならコンビニでお弁当をかって塾に行く子供は十分な教育を受けていると言えるのだろうか。
 
私たちの社会でこの教育はなされているだろうか。教育は学校でするものという考え方が今の若い母親にはないだろうか。自分の子供の教育を放ったらかしにして学校教育の批判をする親たちをマスコミも応援する。
 
コーカサスにおいては招待の言葉は「いらっしてください、そして私たちのゲストになってください」であって「夕食にきてください」ではない。あくまでも「一緒に」食事を楽しむと言うことが強調されているであって食べ物に焦点があるわけではない。つまり食事という見えるものに焦点があるのではなく、「楽しく食べる」という心に焦点がある。食べ物も食べる姿も見える。しかし問題はそこにあるのではない。本質は眼に見えない心のふれあいにあるのだ。
 
日本の家族は世界で最も心理的に崩壊している。「あなたはどんな時に生き甲斐を感じますか」と言う質問に対する答えは平成元年の総務庁青少年対策本部の世界青年意識調査「第四回」報告書をみると次のようである。日本の若者は世界最低で21.3%である。次は韓国の42.5%。アメリカは77.8%。
 
日本の若者は世界で最も家族と一緒にいても生き甲斐を感じない。世界で最も家庭が心理的に崩壊しているのは日本である。そして悩み事、心配ごとの相談相手は諸外国は母親が一位であるが、日本と韓国だけは二位である。
 
今、手元にある平成七年度版の要約を見ても同じである。つまりこの傾向は変わっていない。