日本の親子にかけているのは「自分にとっての最善は何か?」という観点。

よくアメリカの教育が日本の教育に比べて失敗していると言われる。しかしそうであろうか。
 
基本的に異なることがたくさんある。まず高校が大学の目的になっていないことである。そして大学もまた就職の目的になっていないことである。大学卒業時に就職が決っている学生は半分はいない。大学にもよろうが一般的には三分の一も決っていない。初めて勤めたところで一生を過ごすわけでもない。その時そのときが彼らにとって人生である。
 
ある高校生は大学はスマートな生徒よりもアクティブな生徒を求めていると言った。そこに基本的な違いがある。
 
そして放課後は全く学校とは関係ない生活がある。自由時間の考え方そのものが異なる。自由時間が彼らに取ってはnormal state of affairである。
 
あるアメリカの高校生が高校に入学したときに、「高校時代に勉強しなさい」と親に言われた。そこで彼が言った。
 
「私は人生最高の高校四年間を勉強することで浪費したくない」
 
I am not going to waste my best four years of my life for study.
 
つまり高校時代を我が人生最良のときと思っている。こんな素晴しい高校生活観を持っている高校生が日本にどのくらい居るだろうか。高校は三年間と考えている人も居れば四年間と考えている人も居る。市によって制度は違う。

アメリカにいた時にアメリカの高校の入試を調べた時があった。その時に高校の選択に「自分にとっての最善」と言う観点から動いている何人かの高校生に出会った。
 
アメリカの高校でフィリップスアカデミーという名門高校がある。そこに入学した高校生が次の年にミドルセックススクールに変わった。ミドルセックススクールはフィリップスアカデミーに比べて世間的なランクははるかに落ちる。しかし彼は「私にはこちらの高校があっている」と言った。「自分にとっての最善」と言う観点からすればミドルセックススクールだと彼はいうのである。
 
先生が生徒一人一人の個性を暖かく育てようとしている、ここはあまり競争的ではない。「私はあまり競争するのが好きではない」
 
世間的評価という観点からすればどう考えてもフィリップスアカデミーの方が高い。ブッシュ大統領もそこを卒業している。しかし彼にとって大切なのは世間の評価ではない、生きているのはこの私なのだという観点である。
 
日本の親子にかけているのはこの「自分にとっての最善は何か?」という観点である。