はずかしがるという感情は、いろいろと重大な心理的問題を含んでいる。これは本文中に詳しく書くが、アメリカの心理学者ジンバルドーははずかしがる人は四つのことを恐れると言う。その一つは失敗の恐怖である。ところで異常に失敗を恐れる人はどういう人がというと、強迫的に名誉を求める人である。それだけ成功が大切であるということである。そして強迫的に名誉を求める人は、アメリカの心理学者カレン・ホルナイの指摘を待つまでもなく、自己蔑視している人であろう。そう考えると、普通以上にはずかしがる人は、心理的健康である「自己尊重」ができていない人いうことになる。成功してちやほやされたいからこそ、失敗を恐れる。さらに、はずかしがる人は他人から拒絶されることを恐れるとジンバルドーは言う。どういう人が他人から拒絶されることを極端に恐れるかといえば、限りなく相手に受け入れられることを求める人である。さらにもう一つ拒絶されることを恐れる原因はある。それは虚栄心である。正確に言えば神経症的自尊心である。断られて傷つくのはその人の虚栄心である。はずかしがりやの人は、断られて神経症的自尊心が傷つくことが恐ろしいから人を誘えないのである。虚栄心が強くない人は普通に人を誘える。この本はそのように重大な心理的問題を含む、はずかしがりやの心理について書いたものである。そしてこの本で明らかにしたかった点は、何かと言えば「自分が落ちこんでしまい、暗い気持ちになり、どうしようもなく気になって、頭から離れないでいるような弱点でも、他人はほとんど問題にしていない」とう点である。
私は若い頃、人に対して臆病であった。自分の言いたいことは言えないし、何か頼むこともできない。相手に「こうしてほしい」と言えなかった。人に対して臆病なのは、人から拒絶されることが怖いからである。相手に思いきり甘えたいけれど、それ以上に相手に尊敬されたい、受け入れられたいと思う。そこで甘えの感情を抑える。自分の中に甘えがある。相手に甘えたい、しかしもし自分の甘えを表現したら相手に拒絶されると思う。それが相手に対して臆病になるということではなかろうか。人といてリラックスできない人は、相手が自分を傷つけるのではないかと恐れるからである。相手が自分を傷つけるのではないかと恐れると、どうしても警戒心が強くなる。傷つけられるというのは、相手がほんとうの自分を知ったら自分を嫌いになるのではないか……嫌われるということが、傷つけられるということである。自分を表現すると相手に対して安心感が出てくるという点である。安心感がなければ、相手に対して自分をさらけだすことはできない。しかし、自分をさらけだせば、相手に対して安心感ができてくる。相手に気を許さなければ、自分をさらけだせない。しかし、相手に自分をさらけだせば、相手に気を許せる。人間関係というのは、どうもなにごとにつけても好循環、悪循環というものがあるようである。ほんとうの自分をさらけだしたら相手に見捨てられるという不安から、自分を隠す。そして自分を隠すことで、さらに相手に対する不信感が強化される。
はずかしがりやの人は、相手から低く評価されないためには、どのように感じ、どのように行動したらよいかを考え、そのように感じ、そのように行動する。同じようにはずかしがりやの人は、どのように感じ、どのように行動すれば拒絶されないかを考え、そのように感じそのように行動する。あるいは、自分はどのようなことを願えば人から受け入れてもらえるかを考える。つまり、自分自身の願望ではなく、人から認めてもらえ、受け入れてもらえる願望である。人から認めてもらえ、愛されるためには何を望み、何を願えばいいのかと考え、そのように願う。そのときその人がどう感じているか、何を願っているかは問題になっていない。その人の感じかたがないままに、あるいはその人の行動がないままに、あるいはその人のこうしたいという意志がないままに、あるいはその人のこうしたいという願いがないままに成長してきたときに、その人に「自分がある」ことを期待することはできない。そうなれば「自分は何をすれば嬉しいのか」ということがわからなくなっている。社会的にどんなに活躍していても、その人に「自分はない」。また、その人には好きな人がいない。いつも誰を好きになるべきか、あるいは誰を好きになれば周囲の人から受け入れてもらえるかということで人を好きになってきたからだ。