加藤諦三の言葉 第93回 [2002/10/28]

「私は」をはっきり言うと弱い自分が消えていく
くやしさの心理 (P.178-P.180)
(三笠書房)

 だいたい「自分が」反対であっても弱い人間は、「彼も反対のようでした」というような言い方をする。このように自分の意思をはっきりと表示することをいつも避けていると、いつのまにか自分の意思そのものがはっきりしなくなってきてしまう。「みんな、これはほしいんじゃない」といった言い方をよくする。決して「私はほしい」とは言わない。
 このように自分の意思や要求をいつも一般かしていると、「どれがほしい?」と聞かれて、「どれでもいい」というようになってきてしまう。ほんとうにどれでもよくなってしまうのである。「どこのレストランにいこうか?」という時、「彼がどこそこのレストランはおいしいと言っていたよ」となってしまう。自分の意思や要求や望みを一般化しない時は、自分以外の第三者を通してそれを表示する。
 いまも書いたとおり、「自分が」反対でも、まず「彼が」反対の意見だと言う。そして「自分は」と言わずに、全体が自分の望むように反対になることを期待する。
 たとえ「彼が」反対でも、「私は」反対だと言って、それを支持するものとして「彼も」と言うのはいいだろう。しかし「私は」をぬかして「彼が」だけ述べて、その集団の意見がそのようになったのを「彼の」責任にするというのは弱虫にすぎる。
 このような生き方をしていると、いつのまにか気力のおとろえた人間になっていくし、さっぱりした人生を送ることはできないだろう。いつも誰かを恨んでいるようなことになる。



とり返しのつかないことなどひとつもない
くやしさの心理 (P.188-P.190)
(三笠書房)

 この人生には「とり返しのつかない」失敗というのがある。しかしたいていの「とり返しのつかない」失敗というのは、その人の心の傾向によって、そのようになっているだけである。
 所有に一切の価値を置く人にとって、多額のお金を失うことは、「とり返しのつかない」失敗である。しかしものを所有することに、それだけの価値を置いていない人にとって、円高や株によって損をすることは、「とり返しのつかない」失敗ではない。「人生なんてこんなもんだよ」と、ある人にとってはケロッとしていられることでも、資産の獲得と所有に執着する人にとっては、永遠の悲嘆になる。ひとつの事業に一緒にとりくんでいて、それが失敗した時、その失敗のもつ意味、心理的影響は、まったくその人たちによって異なるだろう。
 さらにわれわれは、ケチと思われることを恐れる。そのことは、じつは貧乏でケチな人間だからではなかろうか。貧乏とかケチとか言うと、不快なひびきがあるが、要するにうつ病的傾向をあらわしているのである。
 所有にこだわる、資産の獲得と所有はほとんど生きる目標にまでなっている、それこそが心の貧しさをあらわしている。
 心の豊かさとは所有することではなくて、それを味わうことである。立派な家を所有する人は、経済的には豊かである。しかしその立派さを味わうことができないなら、心の貧しい人であろう。春になったら木々を楽しみ、秋には落ち葉を楽しむ人が、立派な家を所有しながらも心豊かな人なのだろう。



求めているのに安心感が得られないのは
くやしさの心理 (P.209-P.210)
(三笠書房)

 「期待不安」という言葉がある。ある人の期待にこたえられないのではないかと、あらかじめ不安になる人がいる。期待不安とは、あることで失敗すると、次に同じような場面でまた失敗するのではないかと不安になることである。人前であがってしゃべれないということが一度あると、次に人前に出る時、実際に出る前から、あがってしゃべれなくなるのではないかと不安になることである。
 小さい頃、親の期待にこたえられなくて、責められる。そのような体験を積みかさねる。いつも期待にこたえられなかったらどうしようと不安である。そんな小さい頃の体験をもち、やがて成長して大人になる。
 大人になって、目の前にいる相手は、自分に期待していない、あるいは期待したとしても、かなえられないことで責めたりはしない。それなのに、目の前にいる相手に責められるのではないかと不安になる。
 実際目の前にいる人は、自分を責めていない。たとえ期待をかなえられなくても責めない。そうであるなら安心していてもいい。それなのに安心できない。安心できないという人は、やはり目の前にいる人と接触しないで、心の中の録画の再生をしているのである。そして、その再生に対して反応している。心の中の録画の再生に対する反応が、「不安」である。
 なんと多くの人が、現実との接触を断って、心の中の不幸な親子関係の録画の再生に対して反応することだけで、生きていることだろう。現実と表面的には接しながら、まったく現実には反応しないで生きている人で、この世の中はあふれている。


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