加藤諦三の言葉 第9回 [2000/11/02]

自己中心の人は自分にふさわしい人とつき合えない
不機嫌になる心理
(PHP研究所)

 自己中心的な人というのも劣等感の強い人なのである。現実の自分を受け入れられない。この世の中には、現実の自分を大切にしてくれる人もいる。自分のことを第一と考えてくれる人もいる。しかしその人では自分が嫌なのである。相手にとって自分が重要である。そんな相手もいる。しかしそのような人を自分の方が拒否している。
 自分のことを相手にしてくれない人の方にのみ眼がいく。部長だとか何とかいう人の方にのみ眼がいく。自分と対等の人では満足できない。ときには、いつもテレビに出ているニュースキャスターであったり、プロ野球のスター選手であったりする。その人達に手紙を書いたり、相手にされようとする。そして相手にされないとけしからんということになる。
つまり、自己中心的な人は相手と心を通わせるということができない。相手と心を通わせる喜びよりも、自分はこんなにすごいのだとか、自分に皆が注目してくれるとか、自分に皆が同情してくれるとか、そんなことが大切なのである。実際の自分を受け入れ、実際の相手を受け入れ、そして心通わせて生きていくことができない。人と人とのつながりの喜びを経験できないでいる。仲間というのがない。
 自己中心的な人はどうしても親友というのができない。励まし合い、かばい合いながら生きる恋人ができない。自分にふさわしい人とつき合おうとしないし、そのようなつき合いに満足できないからである。



完全=神になることで自分の悩みを解決しようとしてはいけない
不機嫌になる心理
(PHP研究所)

 完全主義者は、人に悪く思われるのではないかといつも不安である。完全主義者は、自分は完全でなければ嫌われるのではないかと思っている。完全主義者は、他人に優越したいという願望から、他人に優越しなければならないという自分に対する要求を持つようになっている。
 カレン・ホルナイがいう如くwishがclaimになっているのである。そしてこれらの栄光への要求が満たされることが、自分の心理的葛藤の解決には必要なのだと、悩んでいる人には感じられる。つまり他人から見捨てられない、見下げられないためには、これだけのことが必要であると感じているということである。
 だから、完全主義者が非現実的な要求を持つのである。見捨てられたら一人でやっていける自信がないのである。完全主義者は、大人になってからいつも小さい頃の見捨てられた苦しみの再体験をしている。大人になっても小さな拒絶を通じて、その古い苦しみを再体験してしまうのである。それを避けたいということである。
 自分が神になることで、自分の悩みを解決しようとしてはいけない。ところが、自分が神になることで、自分の悩みを解決しようとしている人は想像を絶するほど多い。
 神になることより、「美しさ」を味わえる人間になろうとすることの方が、どれほど悩みを解決してくれるかわからない。



一目惚れする人は、自分の理想像を異性に押しつけ、恋をする
まじめさが報われるための心理学 (P.58)
(PHP研究所)

 一目惚れという恋愛がある。しかも物凄い惚れ込みようである。相手を世界一の女性にまで考える。相手をこの世に二人とない男性と考える。そして恋の情熱の膚になる。すぐに熱烈な恋愛をする人はたいてい心理的成長に失敗している。
 Infatuated love is メLove at first sightモ.
 このような一目惚れの恋は現実の相手に恋をしているのではなく、自分が想像する理想の女性を相手とみなして、恋をしているのだという。そして「こんな素晴らしい人は他にいない」と言う。
 右の文は「The Psychology of Love」という本の「Triangulating Love」という論文の中の文章である。
 そしてこのような恋愛は親しさの欠如の結果であると論文はいう。人間にとって極めて重要な親しくなる能力を欠如している人が、ある異性を見てカーッとなる。
 このようにすぐにカーッとなる人は心理的にいろいろな間題を抱えている。
 著者はまず現実の相手を見ないで、自分の理想像を相手とみなすと述べている。相手を理想化してしまう。したがってその恋は遂げられると消えてしまう。現実の相手と接するからである。
 第二の間題点は強迫性である。憑かれたように恋をすることでエネルギーを消耗してしまう。恋に消耗する。恋愛をして積極的に生きる姿勢がより鮮明になるのではなく、ただぼ−っとしている。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室