加藤諦三の言葉 第63回 [2002/02/20]

憎しみはどこから生まれるか
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.49−P.50)
(大和書房)

 人間の憎しみや敵意はどのように生まれてくるのか?それは自分が持っている動物的、本質的な悪であるという面もあるにはあるだろうが、それ以上に人間の育てられ方によるところが多い。レオン・サウルという精神分析学者が書いた『敵意に満ちた心』という本によると、敵意や憎しみを生むのは、まず人の依頼心だという。たとえば親が離婚しようとして一人の子供をとりあう場合や、生みの親と育ての親が子供をとりあう場合、二人はその子のちょっとしたほんのささいな行動や努力に対してさえ絶賛する。そして傷つけないように細心の注意をはらう。子供は他人への依頼心を強くする。しかし、その子が親から離れていかなければならない時、彼は仲間とうまくやっていくことができない。彼は学校でも会社でもうまくいかない。そして、その欲求不満を他人への敵意や憎しみに組織化していく、というのである。



人殺しは最大の罪か
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.53−P.54)
(大和書房)

 なぜ人を殺すことが最大の罪なのであろうか。人を殺すことだけが、弱い立場にあるものの唯一の自己主張であることだっていくらもあるのではなかろうか。どんなことがあっても人を殺してはならないという倫理、道徳、法には強い立場にあるものの自己防衛がかくされている。もちろん人を殺してもいいと言っているのではない。どんなに屈辱を味わい、軽蔑され気がおかしくなりそうになっても、やはり殺人が許されないだろうことはわれわれの多くも認める。一時の激情にかられて人を殺してしまうということは避けなければならない。しかし傲慢で、ずるくて、ふしだらで、卑怯で、怠慢で、自己中心的で、ウソつきで、虚栄心だけ強い人間が徹底的に強い立場にたって、したいほうだいのまねをやって、弱い立場のものがいじめぬかれても、弱い立場のものはそのふしだらで、ウソつきの人間を殺すことはできないというのは納得できるだろうか。人殺しが最大の罪と思っている人間は、おそらく弱い立場に立っていじめぬかれた経験を持たない人間である。人間が弱い立場に立たされていじめぬかれるということが、どれほどのことか血を流して経験したことのない人間だけが、人殺しを最大の罪と思うにちがいない。



人が変わる時
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.56)
(大和書房)

 人間は、どうしても許せないというものを持った時、変わる。どんなことがあっても、この人間だけは許せないという時、一切の社会的道徳は色あせる。自分の血が絶対に許せないものを持った時、社会の道徳というものがどれほどバカらしくうつることか。たとえ人類にさからい、神の意にそむこうと、あの女だけは許せない、そう思った男はその時から自立するのだ。その時から、神よりも、人類よりも、自分自身の倫理に従って生きていこうとするにちがいない。その許せない女の存在を許す社会に対し、決然として独り立ちできるのである。社会の一切を、人類の一切を信じないという時を経て、人間は自立するのではないだろうか。


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