加藤諦三の言葉 第62回 [2002/02/13]

なぜ怖いと感じるか
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.34−P.35)
(大和書房)

 よく理由もなく人は「怖い」と感じることがある。それは無意識の世界に追いやったものが意識の世界に現われようとしている時に感じるものであろう。ある感情を無意識の世界に堅く閉じ込めたつもりが意識の表面に現われようとする。その時に人は「怖い」と感じる。もともと、それと直面するのが怖いから無意識の世界に追いやったのである。だから、意識の領域にあらわれようとした時に怖いと感じて当たり前なのである。したがって、抑圧が拡大している人ほど「怖い」と感じることは多いのではなかろうか。「怖い」と感じている時には、自分でない自分になってしまいそうな危険を感じている時なのである。そして自分ばかりではなく、世界も変わってしまいそうな恐怖感に襲われる。なにもかも不気味である。変わるときに、そのなじみのない世界で自分は生きていかれるかどうか不安なのである。



感情を抑圧すると不安な緊張におそわれる
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.39)
(大和書房)

 執着性格者と対人恐怖症者とは似ている。対人恐怖症者は人を前にして理想の自分を演じようとこだわると言われる。「自然な自分」に対する反動形成が人を前にして理想の自分を演じるということではなかろうか。対人恐怖症者の考える理想の人間は社会的に望ましい人間、規範意識のきちんとしている人である。ところが、その対人恐怖症者の心の底には人間としての自然な感情が渦巻いている。嫉妬もすれば、妬みもする。憎しみもあれば恨みもある。破壊的な願望もあれば淫らな欲望もある。それらを抑圧して、それと正反対のものが彼らの言動に表現される。それらが彼らの規範意識過剰ということであろう。彼らはそれらの抑圧されたものが表面に現われてきてしまうのを恐れている。それだから神経質にもなるのではなかろうか。だから、彼らはいつも不安な緊張に悩まされているのである。抑圧したものが表現されることのないように、必死になっている姿があの不安な緊張なのである。



自分探しは苦しい道
「やさしさ」と「強さ」の心理 (P.42)
(大和書房)

 しかし、自分を探して能動的になるということはそんなに楽なことではない。「自分を探すこと」と何か落としたものを探すのとは違う。落としたものを探すのは、さがし当てれば嬉しいだけである。しかし、「自分探し」は、もともと自分にとって耐えがたいがゆえに、自分の意識から追放した自分である。ある人にとっては見たくない自分である。ある人にとっては、その自分を見るくらいなら死んだほうがいいという自分である。ある人にとっては、その自分は死ぬほどの屈辱に感じる自分である。その自分に耐えられなくて意識から追放した自分であるということを自覚しないで、何か落とした財布でも探すように「自分探し」をする人には、絶対自分を探し当てることはできない。自分探しとは死ぬほど苦しい仕事なのである。中には本当に死ぬ人がいるくらいつらい仕事なのである。


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