人間は自分の能力をえらぶことはできない。しかし、その能力をどう使うかということはえらぶことができる。彼のように幸福に生きることも、前記のサラリーマン氏のごとく最後まで虚勢をはってほろびることもできる。あるいはひねくれて一生を終えることもできる。
能力は運命だ。しかしその与えられた能力でどう人生を生きていくかは運命ではない。
僕は運命によって人を判断しない。その運命をどう対処したか、ということによって人を判断したい。
人を嫌っては「ならない」と思う人は、万事に忍耐せ「ねばならない」として、日々を送る。立派なことだ。しかし人間の意識下というものは、そう理想通りにできているものではない。
人間が持って生まれたものを、こうもことごとく抑圧してしまったら、ノイローゼにならない方が不思議だ。
立派な人格ができあがるのには時間がかかるのだ。あせってはいけない。美しいもの、偉大なものはすべて時間を必要とするのだ。
われわれは自分と他人を比較する場合、たいてい非生産的な方法でそれをやっているのだ。つまりそれによって自分の励みとするというのではなく、それによって傷つくというだけのことで終っているのだ。
僕はかつて、なぜあんなに自分と他人を比較したのだろうと今考えて見ると、それは自分に自信がなかったからのような気がする。自分に安定した自信がなかったから、人に勝たないといられない。負けて笑っていられるというような人間が、実は本当に強い人間なのだ。勝ち負けにこだわるのは自信のない証拠なのだ。
われわれにもし自信があれば、相手とあらそって勝とうとしても、勝負が決まれば、それでまたサッパリしていられるはずなのだ。ところが、自信がないから必要以上に勝ち負けにこだわる。