グチを言う人は、グチを言うことで自分を正当化しているにすぎない。そして心の底では、自分の言っていることが正しいとは思っていない。家も仕事もうまく行っていない。そして自分がいけないとも知っている。しかし、これ以上自分を責めないでくれと言っているのである。
グチを言う人は、つねに失敗している自分にフタをしているのである。そしてグチを言うような人生観で生きている。だからうまくいかない。こういう人が集まって集団をつくるときもあるが、お互いに他人が気になって、協力しあうこともない。
そしてグチを言う人間というのは何をやっても長続きはしない。どのような環境があたえられても何かを見つけ出してきてこれさえあったらとか、あれさえ無ければとか、そういうことだけを言い続けている。
働きまくれば自分の望みがすべて通るというなら、夜も眠らず、働きづめに働いて過労で死んでいっても、そんなこと恵まれすぎているくらい恵まれている。働いて過労で死ぬぐらいで、この人生を辛い思いをしないなら、必死で働いて死んでしまっても後悔はないだろう。少なくとも僕は、働いて働いて働きづめで休みなく働いて、ついに過労で路上で倒れてそのまま死んでも、すべての自分の望みを捨てなくてもいいなら、それは天国でさえある。
ほとんどすべての人間は、生きてくる過程で社会的な何らかの圧力で自分の捨てきれない望みを血を流しながら捨ててきたのである。そうしたなかで明日への希望をつなげて生きてきた。そして生涯、血を流しながら生きつづけていくのである。それなのに、やりたい望みの仕事を得、夫を得、子供を得、大きな家を得て、それがあたりまえと思っている女など、世の中の苦労をしている人からみれば殺してやりたいくらい恵まれているのである。
われわれは自己嫌悪におちいることもなく、開き直ることもなく、そういったものを自分自身が受け入れ、そのうえで生産的に自分が生きていくことを考えるべきであろう。自己嫌悪におちいったり、他人を責めたりすることでエネルギーを使い果たしてしまうならば、いつになってもこうした不愉快さから抜けきることはできないであろう。また、開き直ることにエネルギーを使ってしまっても、いつになっても日々の不愉快さから逃れることはできまい。そうしたことを受け入れたうえで、自分にとって関心のあるものを追い求めていくならば、いつかそうした不愉快さが消えていくのではなかろうか。
自己嫌悪におちいっているときなど他人を徹底的に批判するが、同時に、ふとしたことから猛烈に尊敬する人などを見つけたりする。あの人は利己的でない人だ、というぐあいにである。しかし、利己的でないと思われる行動の奥にも、かなり利己的な部分がある場合が多い。