加藤諦三の言葉 第49回 [2001/11/06]

ノイローゼになる人
「自分」に執着しない生き方 (P.47-P.48)
(大和書房)

 電車を待って並んでいるプラットホームの人の列を考えてみればわかる。前の人は落ちついている。自分は座れると思っているからだ。カラの電車がホームにすべり込んできた時、いちばんソワソワするのは列の中ほどの人だ。座れるか座れないかハラハラする。ノイローゼになる人はこの人たちだ。なんとかすればなんとかなるかもしれない、と思っている人だ。
 つまりノイローゼになる人は、人生のもっとも厳しい試煉を受けていない人たちなのである。もっともつらい、もっとも苦しい、どうにもならないところまで追いつめられ、精神的になぐられる、けられるの体験をしたことのない人たちなのだ。
 人間なんてどうなったって、どうにもなりやしない。ノイローゼの人間は、苦しい時泣き叫んでいるのだ。泣き叫べばなんとかなると思っているのだ。ノイローゼになればなんとかなると思っているのだ。人間なんて泣いたり叫んだり、ノイローゼになったくらいでは、どうにもなりやしない。



人生に障害は当たり前
「自分」に執着しない生き方 (P.65-P.66)
(大和書房)

 人生には障害がないのが当たり前なのではなく、人生には障害があるのが当たり前なのである。自分の人生には障害があってはならない、障害があるべきではないと思い込んでいる人は、カレン・ホルナイのいうノイローゼである。
 どこまでも自己中心的な態度で押し通しても、絶対に人間は幸福になれない。たとえばどんなに次から次へと自分の願望がかなえられても、それ以上のスピードで欲求不満はつのる。他人の不幸など見向きもしない。いや、他人を不幸にしたって何だっていいから、自分のエゴを押し通す人は、絶対に救われない。
 自分が助けてあげられる人がそばにいるのに、けっして助けようとせず、自分、自分とかまってくる人は絶対だめだ。それは、僕自身がそうだからよく知っている。



逃げ始めるとキリがない
「自分」に執着しない生き方 (P.82-P.83)
(大和書房)

 次から次へ、きのうより今日、今日よりあすへとさらに大きな、さらに厳しい何かを求めて進みつづけること、それが生きがいある生活である。止まってはいけない、歩きつづけること、進みつづけること、よりつらい、より厳しいかなたへ向かって歩きつづけること、前進しつづけること、それが生きがいなのだ。
 困難をさらに大いなる困難によって突破すること。それが生きがいなのだ。前進することによって現在の困難を突き破ること、それが生きがいなのだ。
 現在の困難に負けて逃げたら、もう生きがいはない。逃げたら、今まで困難とは感じなかったことが、今度は困難に感じる。逃げはじめれば、今まで何とも思わなかったことまでが障害に感じる。
 そして、さらに一歩逃げる、そうすれば、さらに今まで何でもなかったものが、急に自分の障害に見えてくる。今まで、何気なくやっていたことが大変な困難に感じてくる。そうなれば、逃げにつぐ逃げ、退歩につぐ退歩、前進にキリがないように逃げることもキリがない。地獄の底まで行っても、さらにその下ががでてくる。そして無気力な生活に終始する。逃げることの中には生きがいがない。無気力があるだけである。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室