加藤諦三の言葉 第48回 [2001/10/22]

人生は自分自身の真の姿を認めることを強制する
「自分」に執着しない生き方 (P.18-P.19)
(大和書房)

 このあいだラジオで若い人が「今のような大学で勉強したってしょうがない」などと生意気な、わかったような口をきいていた。おそらく彼は、それで自分は勉強している人よりえらくなったつもりでいるのだろうが、彼はただ単に゛ひねくれた若者”というだけのことだ。彼は学問の厳しさに耐えられなくなって逃げだした、弱い弱い、いくじのない男なのである。
 そして、その自分の怠け癖を認める勇気さえ持てず、それを大学がどうのこうのという言葉で合理化している。
 しかし、人生は甘くない。そんなことで生きていかれるような甘ったれたものではない。彼はいつしか破滅するだろう。精神的破綻者として、生きていくしかない。人生は厳しいのだ。そんな生意気な口をきいているだけで乗り切れるようなものじゃない。
 人生はいつしか、我々にいやおうなく自分自身の真の姿を認めることを強制する。自分は偉くもなんでもない。怠け者でとりえのない人間だ。そう強引に認めさせてくる。そんな生意気な口をきいていて謙虚に努力することを忘れていれば、いつしか、誰も相手にしなくなる時がくる。



自分に奉仕すべき他人しか目に入らない
「自分」に執着しない生き方 (P.24)
(大和書房)

 悩んでいる人というのは大抵自惚れている。他人がその人を見ているようにその人は自分を見てはいない。他人に自分をこのように見ろという要求がある。しかし他人にはその人がそのようには見えない。そこで怒りだす。そこで悩みだす。
 他人は自分のことをこのようにみているが、もしかしたら自分はそのような人間かも知れないとは考えない。
 自分にとって自分が重要なように、他人にとっては他人自身が重要であるということがどうしても理解できない。自分が相手に会う時間があるのに相手が自分に会う時間がないということがどうしても理解できないということは、他人の存在を認めていないことであり、同時に他人は皆自分に奉仕すべきものだという感じ方なのである。つまり自分に奉仕すべき他人しか自分にはいない。



自己中心的な人
「自分」に執着しない生き方 (P.33-P.34)
(大和書房)

 そして不思議なことに、そのように周囲に迷惑をかけている人にかぎって、自分はひどく不公平に扱われているという被害者意識を持っている。
 それらの人は仲間にとっても迷惑になるし、学生のクラブに入ってもクラブの人の迷惑になるし、授業中でも先生の都合を無視して迷惑をかける。それでいていつも悩んでいる。大学はそれらの人のために学生相談センターなどを設ける。
 周囲の人たち皆に迷惑をかけながら、自分は皆に不当に扱われているという被害者意識を持つ。これらの人たちは周囲の人たちが皆、その人を中心に動かないと、自分は不当に扱われると思うのである。自分中心に地球がまわって当たり前と思っている。
 自分中心に地球がまわらなけば、誰かが自分のことを邪魔していると思い込む。先に述べたようにこれらの人にとって自分だけが特別に扱われて当然なのである。自分だけ特別に扱われなければ、自分は被害者と思い込む。
 悩んで僕のところに相談にくる人はたいてい自己中心的であり、被害者意識を持っている。皆が自分中心に動かないといって不公平を感じる。自分をもらう立場に固定して考える。皆が自分にいろいろのものを与えてくれないといって不満になる。


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