加藤諦三の言葉 第47回 [2001/10/19]

不安だから何かを信じてしまう恐ろしさ
「「甘え」と「独り立ち」の心理」 (P.105-P.106)
(大和書房)

 あることが唯一絶対の価値をもつということは、それ以外のものが無価値であるということにとどまらない。それ以外のものは卑しいもの軽蔑すべきもの、かかわってはいけないものとなってしまう。それ以外のものの激しい否定のうえにしか唯一絶対の価値はない。したがって、唯一絶対の価値を信じこまされたものは、たとえ、その価値と確実につらなっていても不安である。なぜなら、いつ自分は卑しい軽蔑すべき存在になってしまうかわからないからである。
 人間の不安の恐ろしさはここにある。自分が不安であるからこそ何かを信じようとする。そして不安からのがれるためにこそ、その価値を唯一絶対のものと信じなければならない。不安からのがれるためには何か唯一絶対のものを信じなければならないが、実は唯一絶対のものを信じることはその人を不安にするのである。彼の場合、学問は唯一絶対のものであった。学問がダメなら他の仕事があるさとは言えないのである。



山あらしのジレンマ
「「甘え」と「独り立ち」の心理」 (P.152)
(大和書房)

 人間は弱い存在であり、同時に自由への限りない憧れをもつ。この二つは相矛盾するが故に人間存在はトゲを持っているのである。山あらしのジレンマとしてよく言われるごとく、近づきすぎると、そのトゲでお互いに相手を刺してしまう。弱い存在であるが故に無限に相手に近づきたい。しかしある限度以上近づけば、そのトゲで刺しあわなければならないのである。
 たとえ実の親子だとて近づきすぎれば、お互いに不満は出てくる。そしてお互いに傷つけあわなければならない。しかし弱いが故に相手を必要とする時、傷つけあいながらも近い関係を維持することになる。



自分の本性を生かす
「自分」に執着しない生き方 (P.7)
(大和書房)

 この本が、人は重荷を背負い込んでひたす努力しろと言っていると受けとらないでほしい。あくまでも努力の条件は、自分の本性を生かすということである。何でもかんでもただ辛いことに耐えるというのでは、何のために人に頭があるのだか分からない。人には知恵がある。ただ疲れていることが英雄的なのではなく、自分を生かすために積極的な行動をとることが英雄的なのである。
 もし二十代の当時、私があるがままの私を愛せたら私はもっと幸せであったろう。当時、私は自分の自然な本性に背いていたところがあった。そこからくる心の悩みに煩わされていた。自分の自然な存在を恐れていた。
 この本をシーベリーという心理学者の次の言葉と併せて読んで貰えれば幸せである。「自分自身であることの権利を信じつつ、敢えて目標を定め意図を明確にするならば、人生を心配事で曇らせることはないでしょう。人生には、貴方本来の資質に反するような義務はないのです。貴方があると思い込んでいるだけなのです。」


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