加藤諦三の言葉 第46回 [2001/10/11]

平等と公平
「甘え」と「独り立ち」の心理 (P.45)
(大和書房)

 生まれつきの身分や肌の色によって、けっして人の可能性を閉じようとはしないのが平等である。そうした平等にあっては、人々が努力し社会の進歩をうながす。しかし、現在の日本人がよく“平等、平等”と言って主張するのは、他人の足をひっぱって、誰も彼もが同じになることが平等なのである。現在の日本人がよく使う平等の概念は、社会の進歩をうながすのではなく、社会の進歩をとめるものとして機能するものである。
 平等の概念がありながら公平の感覚がないのが、どうも現在の日本人のようである。
 また、平等ということは他人に対して向けられると同時に、自分にたいしても向けられる概念である。ところがわれわれが平等と言う時、それは必ず他人に向けられている言葉でしかない。たとえば、他人を恐れているものに他人と対等なつきあいができるであろうか。他人を恐れ、心に不安をいだいている人間ほど人間関係は上下関係になる。



未熟な人間は他人への願いが強い
「甘え」と「独り立ち」の心理 (P.79-P.80)
(大和書房)

 人間が本来努力すべきは、他人にあああって欲しい、こうあって欲しいという願いを持たないでもいきていかれる人間になることである。
 それが自律的な独立した人格であろう。未熟であれば未熟であるほど他人への願いは強い。子供への過大な期待を持つ親、恋人への不合理な期待を持つ男と女。いずれにしても情緒的に未熟児なのである。人間は誰だって他人に対してこうして欲しい、ああして欲しいという願いを持つ。しかし、それをあきらめてその人の好きなようにさせてやるのが、情緒的に成熟した人間なのである。小さいころ、親に対してこうあって欲しいという願いは強いであろう。しかし、一個の独立した人格となるにしたがってその願いは消えていく。



悪い母親とは
「甘え」と「独り立ち」の心理 (P.90-P.91)
(大和書房)

 ニイルという人が、世界でもっとも悪い母親はわが子に向かっていつも、「あなたはお母さんが好き」と聞く母親であり、世界でもっとも悪い父親はわが子に感謝を要求する父親であると言っているが、まことにその通りである。
 自分で勝手に生んでおいて、そのうえ感謝を要求されたらたまらない。しかし、無力な赤ん坊として生まれた以上、親の要求をはねつけるわけにはいかない。生きていく唯一の道は親の要求を受け入れることである。
 そして次第に親の要求を内面化し、自分のなかでそれにさからうことができなくなってしまう。そのようにいったん倫理化されたものは、末永くその人を内面から支配しつづける。
 極端な場合には、たえず感謝をしていなければ生きることが許されないような気持ちになる。そしてひっきりなしに感謝の念を示すことになる。感謝の要求がつよければつよいほど、感謝することなしには自分は許されない存在であるとより強く感じる。
 やがて子供は、どうすることがもっとも親を喜ばすことになるかと心をくだくようになる。どうしたらもっとも感謝の念を強く示せるか、そして親に気にいられるかと苦労しはじめる。


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