加藤諦三の言葉 第43回 [2001/09/06]

肩書きに圧倒されては
「つらい努力」と「背伸びの心理」 (P.78-P.79)
(大和書房)

まず見知らぬ人にあった時、その人を見るまえにその人の肩書きに圧倒されてしまうような人は、なかなか精神生活の充実は難しい。その人間は肩書きだけの人物かもしれないし、そんな組織のなかには表現しきれないもっと多くのものを持っている男かもしれない。肩書きにその人間のパーソナリティーが敗けてしまっている時もあるし、そうでない時もあろう。私などが見ると、大統領という地位に彼らの性格が敗けていないような大統領もいる。首相という地位にその人のパーソナリティーが敗けているよ
うな気がしてならない人もいる。そうした意味で劣等感を持っている人間は、なかなか精神生活が充実しない。自分が社長になりたかったけれどなれないでいる人間というのは、社長に会えば、どうしても相手の人間の社長という地位しか見えない。そこで付き合いが成立すれば、やたらにその社長に卑屈になったり、自分がその社長と友人であるということをやたらに誇りに思うようになろう。その人間が遊び相手として面白いかどうかということにまで考えが及ばないで、社長という肩書きに圧倒されてしまっている。そこで一緒に酒を飲む相手としてはどうもつまらぬ男であったとしても、その劣等感を持っている人間には、酒を飲むという楽しさを味わうよりも、その社長と酒を飲んだという事実が大切なのである。



仕事が面白くなるということ
「つらい努力」と「背伸びの心理」 (P.89-P.90)
(大和書房)

仕事についても同じである。仕事を理解することによって初めて仕事は面白くなるのである。面白くなることで消耗しなくなる。燃えつきる人は仕事そのものを理解しようという姿勢がない。自分の今の仕事を理解しよう、今の自分の仕事が社会にどういう役割を果たしているかを確認し、その重要性を理解しようという姿勢が欠如している。だから、今の自分の仕事を理解しようとすることよりも、自分により大きな威信を与える次の仕事を得ることにのみ関心を示すことになる。自分の仕事をよりよく理解し、その社会との関連性、重要性を理解して初めて、仕事それ自体にやりがいが出てくるし、同時にそれではこの仕事をよりよく社会のためになるようにするには、どうしたらよいかという改革への意欲も生まれてくる。そうすると、仕事を通じて自分の意見という
ものも出てこよう。



他人を愛せない人たち
「つらい努力」と「背伸びの心理」 (P.97-P.98)
(大和書房)

他人が自分をどう思っているかを気にするということは、けっして他人そのものに対する関心ではない。あくまでも他者の中にある自己のイメージに対する関心である。したがって、当然他人への思いやりなどというものはひとかけらもない。あるのは自分の自尊心を高めるための手段としての他人だけである。他人の気持ちをふみにじることには何も感じない、というよりも自分がどれだけ他人の気持ちをふみにじったかに気づかない。ナルシストとはこのように他人を愛せない人なのである。同じようにいかなる対象への愛をも持てない人である。ナルシシズム故に自らの本質が疎外されている人は、仕事にも遊びにも関心を持つことができない。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室