一体どうなることか、と思うことがある。しかし、人生とは何とかなるものだ。今まですぎ去っていったように、これからもすぎ去っていく。
とりこし苦労をするのは暇人だからだ。心配したって何のたしにもならない。そうとわかっていても心配なのが人間なのかもしれない。しかし、それは覚悟ができていないからだ。心配したり、とりこし苦労をするのは覚悟のきまっていない暇人なのだ。人間は覚悟がきまらなければ、一生心配しつづけなければならない。
人生っていうのは、心配事はひとつじゃないんだ。ひとつの心配事がなくなれば、すぐにまた次の心配事がでてくる。考えだせば、この世のことなんかなんだって心配の種になる。このことがうまくいかなかったらどうしよう、あの仕事がまずくなったらどうしよう、あの人にふられたらどうしよう、試験に落ちたらどうしよう、ああなったら、こうなっら・・・・・・・この人生は覚悟がきまるまでは心配事はたえない。
ふられたらふられたで、その時考えるさ。仕事が失敗したら失敗したで、またはじめるさ。試験におちたらおちたまでだ。試験に落ちたからって、それがどうした。
何事も自分でやろうとしない人間というのは、他人が今日あるのはその過去のおかげである、ということを知ろうとしない。
また、お金がなくて仕事ができない、という人間に、借金すればいいじゃないか、というと、他人がお金を貸してくれる奴はいい、という。だが借金にしても、人がお金を貸してくれるようになるまでにはやはり過去がいる。人がお金を貸してくれるだけ信用されるためには、やはり過去に信用されるだけの言動がいる。
自分で何かをやろうとしない人間は、自分が現在何もできないのは自分の過去からの行ないのせいだ、ということを認めないで、やたらに他人の現在をうらやましがる。自分の好きなことをやる、自分の思うように生きる、これが一朝一夕にできるわけがないのだ。
「さあ! 立ち上がりたまえ」
なんといい言葉ではないか。敗北することは恥ではない。倒れることは恥ではない。恥とは、倒れて立ち上がらないことだ。
人生は立ち上がりさえすればよいのだ。立ち上がりさえすれば人生は立派なものだ。その他のことはどうでもよい。倒れようが、傷つこうが、そんなことはどっちでもよい。この人生で大切なことは、ただ立ち上がることだ。立ち上がらないかぎり、この人生で解決のつくことは何もない。倒れていて、そのうち何かうまくいくだろう、などと考えていたら大まちがいだ。