加藤諦三の言葉 第40回 [2001/08/04]

とりこし苦労は暇人だからする
20代の私をささえた言葉 (P.89-P.90)
(大和書房)

 一体どうなることか、と思うことがある。しかし、人生とは何とかなるものだ。今まですぎ去っていったように、これからもすぎ去っていく。
 とりこし苦労をするのは暇人だからだ。心配したって何のたしにもならない。そうとわかっていても心配なのが人間なのかもしれない。しかし、それは覚悟ができていないからだ。心配したり、とりこし苦労をするのは覚悟のきまっていない暇人なのだ。人間は覚悟がきまらなければ、一生心配しつづけなければならない。
 人生っていうのは、心配事はひとつじゃないんだ。ひとつの心配事がなくなれば、すぐにまた次の心配事がでてくる。考えだせば、この世のことなんかなんだって心配の種になる。このことがうまくいかなかったらどうしよう、あの仕事がまずくなったらどうしよう、あの人にふられたらどうしよう、試験に落ちたらどうしよう、ああなったら、こうなっら・・・・・・・この人生は覚悟がきまるまでは心配事はたえない。
 ふられたらふられたで、その時考えるさ。仕事が失敗したら失敗したで、またはじめるさ。試験におちたらおちたまでだ。試験に落ちたからって、それがどうした。



やたらに他人をうらやましがってはいけない
20代の私をささえた言葉 (P.93-P.94)
(大和書房)

 何事も自分でやろうとしない人間というのは、他人が今日あるのはその過去のおかげである、ということを知ろうとしない。
 また、お金がなくて仕事ができない、という人間に、借金すればいいじゃないか、というと、他人がお金を貸してくれる奴はいい、という。だが借金にしても、人がお金を貸してくれるようになるまでにはやはり過去がいる。人がお金を貸してくれるだけ信用されるためには、やはり過去に信用されるだけの言動がいる。
 自分で何かをやろうとしない人間は、自分が現在何もできないのは自分の過去からの行ないのせいだ、ということを認めないで、やたらに他人の現在をうらやましがる。自分の好きなことをやる、自分の思うように生きる、これが一朝一夕にできるわけがないのだ。



失敗を恥るな
20代の私をささえた言葉 (P.126)
(大和書房)

 「さあ! 立ち上がりたまえ」
 なんといい言葉ではないか。敗北することは恥ではない。倒れることは恥ではない。恥とは、倒れて立ち上がらないことだ。
 人生は立ち上がりさえすればよいのだ。立ち上がりさえすれば人生は立派なものだ。その他のことはどうでもよい。倒れようが、傷つこうが、そんなことはどっちでもよい。この人生で大切なことは、ただ立ち上がることだ。立ち上がらないかぎり、この人生で解決のつくことは何もない。倒れていて、そのうち何かうまくいくだろう、などと考えていたら大まちがいだ。


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