加藤諦三の言葉 第37回 [2001/07/12]

自由と自由感
「せつなさ」の心理 (P.103-P.104)
(大和書房)

やりたいことをやるのが自由であることは確かだが、それが自由感をもたらすかどうかは別のことである。たとえやりたいことでも、こういうことをしてはいけないと思いながら、そのやりたいことをやるのは、けっして自由感をもちえない。人間にとって真に自由であることは、やりたいことをやりながら、しかもそのことが許されている時である。何の気兼ねもなく、やりたいことをやる時、はじめて人間は自由なのである。あの人と会ってはいけないと思いつつ会いたい人に会っても、気がやすまる時はないのだし、くつろげることもない。しかし、人間はあの人と会ってはいけないと思って会わないでいられるほど都合よくはつくられていない。自分で自分がどうしようもないということだって、いくらもある。不愉快になるのは自分が悪いので相手が悪いのではないとわかっていても、相手に腹が立ってしようがない時もある。



安易な同情はエゴイズムの表れ
「せつなさ」の心理 (P.122)
(大和書房)

今われわれはおたがいに甘えあっている他人に同情することで、実際に他人にどれだけ具体的にプラスになっているか、他人に同情することで、単に自分のヒューマニズムを満足させているだけではないのか。だとすれば、われわれはなんと偽善的なことか。同情は本当に具体的にその人の腹がふくれるようにして、はじめて尊いのである。単に相手の腹をさするような同情は、自分のヒューマニズムを満足させるエゴイズムでしかない。もっともエゴイスティックな人間が、もっとも安易に他人に同情するのだ。
彼は同情して、自分一人で自分がいい気持ちになっているにすぎない。行動と結びつかない同情などエゴイズムにすぎない。行動と結びついてこそ、はじめて同情は同情なのである。



三つの大変
20代の私をささえた言葉 (P.17-P.18)
(大和書房)

大変、ということは、自分にとらわれているからだ。一切の見てくれや、エゴイズムを捨てたら、この世の中に、大変だ、などと思うことはなくなるだろう。「大変だ」というときには三つある。一つは「大変だ、大変だ」と言って同情を同情を請うときである。次には、自分が手抜きをして仕事をしているときに、言い訳のために言うときである。最後に本当に大変なときである。しかし、本当に大変なときにはあまり「大変だ、大変だ」とは騒がない。
 同情を求めて「大変だ、大変だ」と叫ぶと、叫べば叫ぶほど嫌がられることが多い。人は仕事の結果を褒めてくれるのであって、あまりその人を褒めてはくれない。
 人は愛を求めて「疲れたー、疲れたー」と言う。しかし、「疲れたー、疲れたー」と言っても、人は優しくしてくれないことが多い。愛を求めても愛がかえってこないことが多い。


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