加藤諦三の言葉 第329回 [2008/08/30]

病気をして見えないものが見える
無名兵士の言葉」(大和書房)

「無名兵士の言葉」

ニューヨーク大学の壁に掲げられた次の様な無名の詩は、「失意の若者へ」と言う題であったようだ。


   大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。

   偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。

   幸せになろうと富を求めたのに、賢明であるようにと貧困を授かった。

   世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、得意にならないようにと失敗を授かった。

   長寿を楽しむために健康を求めた。が、一分の価値を知るようにと病気を賜った。

   求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた(中略)私はもっとも豊かに祝福されたのだ。


私はこの詩をもとにして「無名兵士の言葉(大和書房)」を書いた。
「偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよきことをするようにと病気を賜った。」
というのは、おそらく病気になることで、神経症的自尊心の虚しさを感じ、家族や友人などとの生活も大切だということを知ると言うことではないだろうか。
病気になれば、偉大なことができるように健康を求めない。ただ健康の有り難さを知る。
病気になれば誰でも苦しむ。
その苦しみをプラスにする人もいれば、マイナスにする人もいる。
その苦しみをプラスにする人は、病気できれいな心を育てる。マイナスにする人は健康な人への妬みの心を育てる。
幸せになった人は「病気で苦しんだけれども、今振り返って見ると本当に良い経験をした。あの病気の苦しみがなければ、今の幸せはない」となる。
それは病気で今まで見えなかったものが見えてきたからである。病気で「何かが見えると言うことは凄いこと」である。病気をして見えないものが見えると言うことは偉大なことである。
人はこうして幸せをきずきあげていく。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2008
加藤諦三、加藤諦三研究室