加藤諦三の言葉 第32回 [2001/06/08]

相手を非難しながら相手を求める心理
妬まずにはいられない (P.20)
(PHP研究所)

 相手を受け入れるということは、相手と心理的に距離が出来るということである。別の言葉で表現すれば、自我境界が出来るということでもある。
 例えば、男にとって女の本性は必ずしも都合のいいものではないし、女にとって男の本性は都合のいいものでもない。しかし、お互いに相手を求めている。
 心理的に距離が出来ると、はじめてその相手の本性を認めた上でつき合える。心理的に距離が出来る前は、とにかく相手の[あるべき姿]が先で、それ以外の相ギの現実の存在を認ゲゼい。相手の[あるべき姿]とは、自分の末成熟な情緒にとって都合のいい存在ということにすぎないのだが、それを[理想]と思い込んでいる。
 相手の実際の姿を見れぱ[けしからん]という認識が先で、それ以外には考えられない。したがって相手のすることが面白くない。相手に不満で、相手を非難する以外に対処の仕方を知らない。しかし、相手を非難しながら相手を求めているから相手に対する非難はしつこくなる。責めさいなむという感じの責め方になる。責めることで相手が自分と離れることが怖いのである。そこで責める一方の攻撃とは違ってくる。責めながら求めるから[絡む]ことになる。いくら責めてもそれで気が済むということはない。責めれぱ責めるほど、相手を失うのではないかと不安になる。[絡む]というのは相手を非難し、責めれぱそれで気が済むというような単純な気持ちの動きではない。



嫉妬心が強い人は相手や自分の独自性を知らない
妬まずにはいられない (P.37)
(PHP研究所)

 女としての自分に自信がないからこそ、相手の男性の評価が気になるのである。そういう女は自分を愛していないから、相手が自分を愛しているということに確信が持てない。
 愛されたいという受け身の願望が強いから、競争意識も強くなる。嫉妬心も強い。嫉妬心は競争意識と関係がある。嫉妬心の強い人は、愛されたいという自分への執着が強い。相手のすること一つ一つに関心があるといっても、相手その人への関心が強いわけではない。
 彼等は自分の価値が相手の自分に対する態度にかかってしまっている。それだけ依存心が強いということである。相手の好意を獲得しようと相手に迎合していくと、自分の中に弱さを感じてしまう。相手の好意を得ようと相手に奉仕してしまうと、自分の中に弱さを感じてしまう。
 相手の好意を得るために相手の奴隷になるというのは、おそらく小さい頃支配的な親との関係で身につけてしまった心理的習慣なのではなかろうか。真の恋愛を実現させるためには、この心理的習慣を打破することが必要である。
 欲求不満で、自分に執着する権威的な親に育てられた人は、相手の言いなりにならなければ相手にとって自分は価値のない存在であると感している。敵意を抑圧し、不誠実で、心理的に不安定な親との関係の中で、初めて持ってしまった自分に対する感情に、人は大人になっても支配される。
 相手を愛する気持ちが出てくると、相手一人一人の独自性に目がいく。一人一人の独自性に目がいけぱ、優劣だけに気を奪われることもなくなる。愛されたいという受け身の願望が強く、相手その人の個性に関心のない人は、自分の独自性にも気がついていない。自分の独自性に気がついていないから競争意識に駆られて、嫉妬心が強くなる。



受け身の願望の愛と支配は表裏一体である
妬まずにはいられない (P.44)
(PHP研究所)

 相手を愛している人の方が優劣を気にしないものである。自分が人より優れているか劣っているかを気にする人の方が相手を愛してはいない。愛されることぱかり気にしているから優劣が気になる。愛されたいという受け身の願望の強い人は、自分が愛されるに値するか値しないかが気になるのである。
 受け身の願望の強い人は、相手を愛しているつもりになってもそれは押しつけがましい愛であり、相手は安心できない。受け身の人が無理に愛する姿勢になると、相手はうるさく感じる。相手は自由ではなく、束縛を感じる。受け身の人の愛は別の意味での要求なのである。
 受け身の願望の強い人は、相手に要求が多い。そのような人が逆に人を愛する姿勢になると、別の意味での要求をする。やはり相手を自分の願望にしたがわせようとする。受け身の願望と支配欲は表裏一体である。本人は愛しているつもりかも知れないが、相手は絡みつかれているような束縛感を覚える。愛しているようであるが、緒局相手を奴隷化しているにすぎない。
 受け身の願望の強い人は、愛する姿勢になっても、他人に対して密かな隠された要求を持っている。むしろ愛という言葉でその密かな要求を隠してしまう。愛というものに隠された、他人に対する密かな要求は、支配という形で出てくる。親子関係で言えぱ、それは溺愛と言われるものに表現される。


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