人は自分のために働いている。それなのに人のために働いていると思う人がいる。そして人のために働いていると思うから相手に対して要求が出て、不満が出るのである。自分のために働いていると思えば、とんでもない結果が出てきたときでも「これも甘受しよう」という気持ちになる。
「あなたのためにしてあげた」という感情こそ、人間関係の最大の障害である。恋愛関係であろうと親子関係であろうと仕事の上司と部下との関係であろうと、この感情があると関係はこじれる。その人を好きなら、あまり「あなたのために」とは思わない。
その人を好きでないから、何かをするときに、「あなたのために」と思うのである。「あなたのために」を連発する人は人を愛する能力にかけている人である。
ある高齢者が死を前にして書いた目記には次のようにあった。「人のためなどと偉そうに、言ったりやったりしたことは、全て相手のためではなく自分のためだった」。正直な感想である。
デートの約束をする。想像力の豊かな人は色々と楽しいことを想像してデートをする前から「幸せだな−」と思う。そう思う結果、賢い女性なら「彼との生活を大切にしよう」と思う。あるいは、この楽しさをいつまでも続けるために「しっかりと働こう」となるであろう。「幸せだな−」と思う謙虚な男も女も、この幸せを守るために「自分の生活をきちんとしよう」と思うに違いない。
しかし想像力の豊かでない人は、デートのときを想像して幸せになるのではなく、デートのときに自分をどう良く見せるかを考える。そして「どうしたら彼女を手に入れることができるか」「どうしたら彼を手に入れることができるか」に気持ちがいってしまう。
すると「あの人を手に入れるための」演技を想像することが始まる。その演技を想像することが始まったときに、人間性を失い始める。演技は孤独の始まりである。つまり彼らは楽しいことを想像するよりも、相手を手に入れるテクニックを考える。
想像力の豊かさが意味を持つのはデートばかりではない。山の中で「梅千し食ぺたいなー」と思う。そして梅干しのおいしさを想像する。「好きなものを食べたいなー」と想像しているような楽しい人には、仲間ができる。
友達が困ったときに相談に乗ることも大切な仕事である。子供の話に耳を傾けることも大切な仕事である。ところが仕事を社会的役割としてしか考えられないような人には、仕事の持続性が方い。彼らは年老いていくまでの長い人生で、仕事の持続性を維持することはできない。
木村敏氏の論文「いわゆる『鬱病性自閉』をめぐって」に、鬱病者の自己実現とは役割的自己実現という意味にまで狭められていると書いてある。早く主任になって、それから係長の後は課長、その後は部長になる。これが役割的自己実現であろう。
だから彼らは仕事を持続できないのである。その意味で、人とぷれあえない前鬱病者は、エネルギーの供給源を持っていない。だから仕事を持続できないのである。仕事を休んだからといつてエネルギーが湧いてくるというものでもないだろう。
仕事を続けていれば必ず困難に出会う。失敗もある。その困難を乗り越えるエネルギーが前鬱病者にはない。成功につぐ成功を収めていればそこからエネルギーを得ることができるかもしれない。「私はこんなに偉くなった」という満足からよく働く気になるかもしれない。しかしそんな成功につぐ成功というようなことは実際の人生には起きない。だから、一度失敗すればもう挫析してしまう。
エネルギーがなければ困難でないことも困難と感じてしまう。エネルギーがあれぱ困難も困難とは感じない。いつも友達と遊んでいるようにみえるビジネスマンが、時に長いレースで成功する。それは仕事のエネルギーを友達と遊ぶことから得ているからであろう。
家族だんらんをしたり、友達と遊んだり、恋人と楽しい時を過ごしたり、笑ったりしているうちに、エネルギーが蓄えられていく。必ずしも真面目な努力家がビジネスの世界で成功しないのはこのためであろう。人とふれあえない人は、長い間には仕事をしていくエネルギ−が枯渇してしまうのである。