誰でも自分を表わすのは怖い。拒否される可能性がある、だから怖い。怖くない人などいない。ただそれを克服して行動できるか、できないかの違いだけである。
勇気とは自分を信じることであり、相手を信じることである。相手に対して自分を出すことは怖い。拒絶される可能性ばかりではない、嫌われるかもしれない、軽蔑されるかもしれない。
その恐れを乗り越えて、あえて自分を出す。あえて挑む。結果はどうであれ、自分を表現する。その恐れというハードルを乗り越えたときに、初めて自分を理解してくれる人が出て来るのである。そして自分にも自分がわかってくる。
勇気ある行動をするエネルギーの根源は、人とのふれ合いと自分の意志である。自分の人生の目的に対して強い意志があるから不安、不信を打ち消すことができる。だから行動できる。そして行動しているうちに恐れはなくなる。
神経症の人は他人のことばかり気にしている。「こうなったら人がどう思うか」と考える。自分が生きているのではなく、人がどう思うかで生きている。だからしたいこととできることとが達ってくる。心理的に健康な人はできることとしたいこととが一致している。だから生産的な努力ができるのである。本気で「幸せになろう」と決心すれば、「こうしたら人が凄いと思うだろうなあ」などとは考えない。「自分が幸せになる」ということを考えたら、努力の夕−ゲットが違ってくる。神経症の人はどんなに努力して成功しても、幸せにはなれない。成功すれば成功したで、今までとは違った人と比較を始める。そのときどきで夕−ゲットとして比較する人が違ってくるから、いつになっても幸せになれない。
今自分がいるところがどん底と思うなら、それを処理しなさい。その酷い状ゼを処理することが、今の世界から飛ぴ出すきっかけになるかもしれない。今の自分の状態を「不運だ」と嘆いているだけでは、いつになっても転機は来ない。文句を言って待っているだけでは発展はない。
大間題はないが、慢性的に酷い状態だという人がいるかもしれない。それなら日常の何でもないと見過ごしていることと、真剣に取り組む決意をしなさい。そうすればその日常の何でもないことが転機となる事柄になるかもしれない。
自分の過去を正直に認め、それを受け入れる、そこに転機がある。過去を振り返り、自分を責めているだけでは転機は来ない。
幸運の女神はたくさんいる。神は幸運を手に入れる芽を与えている。しかしその幸運の芽を現実の幸運にできる人とできない人といる。
人生は大吉の連続ではない。またそのときの大吉が長い人生で最もいいとは限らない。人生で与えられるのは半吉なのである。おみくじを引いて、半吉とでたらよかったと思うことである。後の半分は自分の力で成し遂げるのである。大吉は、登り詰めているから、あとは下り坂。