加藤諦三の言葉 第268回 [2006/09/11]

見え透いたお世辞。
「相手の心の『表とウラ』が見える心理学」「三笠書房」


 
 なぜ見え透いたお世辞が嬉しのか。
だいたい他人から「いい人」とか「心の寛大な人」とか「器の大きな人」と言われることが嬉しい人は騙されやすい。利用されやすいし、操られやすい。人は 利用されたあとで利用されたとわかると怒るが、実は自分から利用されるように振る舞っているのである。
その人の周囲には、はじめからその人を利用しようとする人ばかりいたのではなかったはずである。しかし、その人自身が自分からそのような人間関係をつ くっていったのである。  
自分に誠意のある人を退け、自分を利用する人の側に自分からついた。なぜそのように自分を利用するような人と組んだかといえば、たいていはどこかで「な かなかの人物」などとほめられることが嬉しかったからである。  
見え透いたお世辞が嬉しかったからである。認められたかったからである。要するに、そうしたずるい人達の言葉に、傷ついた心が、一瞬、癒されたのであ る。
人は必ずしも本当の意味で自分を大切にしてくれる人と一緒にいようとするわけではない。自分の人格、自分の利益を踏みにじる人とでも、瞬間、心が癒され れば、自ら進んで一緒にいようとする。自分を大切にしてくれる人を敵にまわし、自分の人格を踏みにじる人を味方にする。そんな愚かな人は、ちょっと考える といないようであるが、実際、世の中にはたくさんいる。
もちろんこのような人は心の底のどこかで不安を抑圧し、心が傷ついている。癒されない心の傷や不安から、人は不可解な行動に出る。自分を踏みにじる人の 方がその場だけは自分に都合のいいことを言うからであり、お世辞も言ってくれるからであり、その結果、心を癒してくれるからである。  


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