加藤諦三の言葉 第263回 [2006/07/11]

運命を受けとめるということ。
「自分を変えたいと思った今が幸運のはじまり」「三笠書房」


   運命を受けとめるということは、その運命がどのように苛酷でも、結局は自分の味方なのだということである。
それを敵にしたのは、現実に対する自分の反応である。現実が味方と思うなら、自分はあのブドウを取れないと認めることが
できる。自分にはブドウよりもっとおいしいものがあるのだから。自分にはあのブドウを取る能力がなくてよかったと思って
努力するのが、現実が味方という生き方である。つまり、自分がブドウを取れないということを自己弁護をする必要がないと
いうことである。自己防衛の強い人は「現実は敵」と思っているのである。「現実が味方」なら、自分を守る必要はない。
「現実は敵」と思っているから、できないことをできないと認められないのである。間違いを間違いと認めることができない。
だから他人に謝ることができない。

 劣等感の強い人は、敵陣の中にいるようなものだと言われる。劣等感の強い人は「現実は敵」と思っている。つまり
現実を勘違いしているのだ。現実は味方なのに、敵と思って戦っている。自分を守る必要がないのに守っている。自分を
守るためにエネルギーとして使ってしまう。「現実は味方」と思っている人は仕事でエネルギーを使う。それは現実否認に
エネルギーを使わなくてもいいからである。現実を認めないということは、そのためにものすごいエネルギーを使う。
だから現実否認の人はいつも疲れているのである。現実否認に使われているエネルギーを仕事に向けたら、
かなりの仕事ができる。

 また、「現実は味方」と思っている人は、責任転嫁をする必要がない。若い時代に挫折する人は責任転嫁をする人たちである。
「自分は悪くない」といつも主張している。


BACK← →NEXT
「加藤諦三の言葉」目次へ戻る
トップページへ戻る

このページに掲載されている記事などの無断転用を禁じます。

Copyright (C) 2000-2006
加藤諦三、加藤諦三研究室