相手との間に距離を取るということは困難を解決するときばかりではなく、相手を助けるときにも必要なことである。「相手との間に距離をとること −− これは、あらゆる援助関係において心得ておくべき基本原則といえましょう」(「こじれる人間関係」創元社、一一九頁)
この著者はその例としてある教師のことをあげている。ある教師が不幸な家庭であった生徒に同情し、自分の下宿に住まわせたというのである。そしてその生徒の愛情要求に疲労困ぱいし共倒れになったという話である。
そして何故ここまでこの先生がこの生徒にかかわったかということの動機に気づくことも必要だと指摘している。つまり先生自身の未処理の問題を生徒に置き換えて解決しようとしたのではないかということである。日本の場合、時に距離を取ることが情緒的成熟を意味しないで、冷たさとさえ誤解されることがある。
よく相手の不幸に物凄く同情して自分を見失い、相手のためにも自分のためにもならない共倒れを演じる人がいる。この共倒れを演じる人は相手のために何かをしているようであるが、実は自分の隠された心理的間題を解決しようとしているに過ぎないのである。
「こじれる人間関係」に相手を翻弄するタイブというのが出てくる。いわゆるヒステリー性格者が戯れ気分で演じるものだと言う。そしてこのタイプの女性に苦しめられる男性も多い。しかし考えてみればコケティッシュな振舞いで男性の注目を引こうとしている女を見抜けないのも心理的に成長していない男性である。
その様なけしからん女性は確かに悪い。しかししばらく男性を追いかけさせ、適当なところで拒絶する女性を追いかける男性も男性なのである。これは男女の間ばかりで演じられるものでもない。相手を翻弄してそれを楽しんでいるような人はいる。学生にもいる。先生を翻弄するのである。
この様に相手を翻弄するタイブはまず当り前であるが誠意がない。まず相手に全面的に賛成するかのような振舞いをして相手の気を引く。欲張りな人は利害関係でこのタイプに翻弄される。得するかと思ってその人の言いなりになると最後で酷い目にあう。とにかく信じられないほど誠意がない。
しかし相手の誠意を見極められるか見極められないかはその人の心理的成長によるところが大きい。誠意を見極められるということは逆に「ずるさ」を見極められるということでもあるのである。「ああこの人は口先ばかりで、実際にはずるく立ち回る人だなあ」と感じられる人は相手との距離が取れる人なのである。
失敗を恐れる人は失敗を招くし、失敗を恐れない人は成功を招くという不思議なことが心理的にはある。失敗を恐れる人というのは、失敗を重大視し過ぎるのである。失敗したことで実際には自分の周囲は何も変化しない。自分を取り巻く人間関係がそれによって変わるわけではない。
しかし、失敗を重大視し過ぎる人は、その失敗によって自分を取り巻く人間関係が変わると錯覚する。そして自分からその様に変わった対応をしてしまう。相手が自分のことを相手にしないのではなく、自分から相手にされないと思い込んでその人から離れていく。
失敗しそうなとき失敗したら大変だと感じるか、失敗したらしたでしかたないやと感じるかは、かなり決定的な差である。自分に自信のある人は失敗を恐れない。自分に自信のない人は失敗を恐れる。失敗するから自信をなくすのではない。
自信のある人は、失敗してもそれによって心理的打撃を受けない。自信のある人というのは、楽天的である。戦う楽観主義者である。自信のない人は、悲観的である。ちょっと旨くいかない兆候があるとそれに気を取られてしまう。そして戦わずしてああもうだめだとなる。