加藤諦三の言葉 第24回 [2001/03/21]

やりたくないのにやりたいと格好をつける理由
辛さに耐える心理学 (P.49)
(PHP研究所)

 本当に、不満な人というのは受身の人なのである。やれば出来ることをしない。なぜやれないか、それは外の問題ではなく自分の心の中の問題なのである。本当はやりたくないという面もある。しかし自分がやる気のない人間であることを認めることを拒否している。そこで自分がしないことを環境のせいにする。文句を言う。不平を言う。しかし不平を言っていてもそのことを体験する喜びを得ることは出来ない。
 やりたくないのにやりたいという格好だけつけている人が多い。外国のある大学に短期の留学のプログラムを作ったときである。私はもっと勉強がしたい、という人が出てきた。
 それではということでそのプログラム以外のどの科目を取ってもいいことにしてもらえるように相手のそれぞれの学部に頼んだ。ところが実際にそのように科目を取れるようになるとその人はいっさいその学部の科目を取らなかった。
 彼は本当はそんなに勉強したくない。しかしそのように勉強をしたくない自分を認めることを拒否している。そこで自分は勉強したいのに十分に勉強する機会を与えてくれない、この企画はなんだと相手を責めることで自分の心の葛藤を解決しようとしているのである。



劣等感があると他人を避けるように振る舞ってしまう
辛さに耐える心理学 (P.51)
(PHP研究所)

 自信のない人は実際の自分より以上の自分を相手に印象づけようとする。実際の自分では人が自分を自分の望むようには相手にしてくれないと間違って思い込んでいるからである。
 実際の自分より凄いように自分を周囲に印象づけようとしている人は本当に勘違いしている。実際の自分をそのまま相手の前に示すことが相手にとってどれほど感じの良いことであるかを分かっていない。また実際の自分を物凄い人のように相手に示そうとする態度が相手にとってどれほど不愉快なものであるかも分かっていない。
 人が不愉快に感じるのはお金がないのにある「ふり」をする人である。お金がなくてもあってもそのこととその人の感じ良さ、悪さは変わらない。人が不愉快に感じるのは、友違がいないくせにいる「ふり」をする人である。異性にもてないのにもてる「ふり」をする人である。
 自分の趣味がなくて、人に見せるために虚栄心から大きな家に住む人を、周囲は不愉快に思う。大きな家に住んでいようが、小さな家に住んでいようがそのことと感じの良さ、悪さは間係ない。嫌われる人は自信がないのにある「ふり」をする人である。
 相手の賞賛を得ようとして自分を凄く見せることで自分の人生をどれくらい不愉快にしているか分からない。そしてそのような態度が親しい人を作らせないでいるということが、「ふり」をする人には分かっていない。
 どんな自分であっても素直な自分に対して人は親しみを持つ。偉そうに振舞う自分に対して人は親しみを持たない。偉そうに振舞うと人はその人を感じが悪いと思ってその人を避けるだけである。しかし劣等感があると人が自分を避けるように避けるように振舞ってしまう。



“もし〜だったら”は悩みを自己増殖させるだけである
辛さに耐える心理学 (P.92)
(PHP研究所)

 かなり仕事をしている人でもよく「不眠症の傾向さえなくなればもっと仕事が出来るのに」と言う。その考え方自身が神経症的であるとは気がつかない。
 自分は今寝られないのである。それが実際の自分なのである。その不眠症の傾向のあるのがほかならぬ実際の自分であって、いつでもどこでも熟睡する神経の図太い人が自分ではない。自分が実際の自分の責任をとっていこうという姿勢があれば「もし自分が〜だったら〜なるのだけれども」という言い方はしないはずである。
 「もし自分が〜だったら〜なるのだけれども」という言い方は現実の自分を無視しているのである。現実の自分はそれほど有能にこの世の中で働けない、それが現実なのである。それなのに「もし自分が〜だったら〜なるのだけれども」という言い方は、現実の自分を受け入れていない。
 さらにその様な人は自分をどこかで「ごまかし」ているのである。人間は正直なものである。実際は自分が劣っていると感じ、周囲におぴえているくせに、優越しているように周囲にも自分にも「見せかけ」たりしている人がいる。しかしやはり心の底で恐れていればそれが不眠症だとか性的不能だとかいうところに表われるものである。


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