加藤諦三の言葉 第21回 [2001/2/17]

人生に成功する人は失敗にこだわらない
自分を活かす心理学 (P.175)
(PHP研究所)

 努力はするが、目的のものが手に入らながった時、あきらめの早い人がいる。このような人は神経症的要求を持っていない人である。欲しいと願ったが、そのような権利が自分にはあると思わながった人である。
 損をした時、あきらめの早い人と、なかなかあきらめられない人がいる。どうしてもあきらめられない人は、自分は得をする権利を持った人間であると自分を感じているからである。
 事業家として成功するような人でも、よく損をする。しかし意欲的で心の健康な人は、損をした時「自分には見る眼がなかった」とあきらめて、いつまでもそれにこだわらない。自分は運のいい時もあれば、運のわるい時もある。それは自分が特別の資格がない以上仕方のないことである。そのように自分を感じている人は、損をした時にそれにこだわりつづけて一生を無駄にする、などということはないであろう。
 損をすることは決しておかしなことでも不当なことでもない。当たり前のことである。だが自分にとって大切なことに対しては自分には特別の資格がみると感じている人は、損をしたからといって、すぐにあきらめるわけにはいかない。
 心の健康な事業家にとって損は単純に損であり、利益は単純に利益である。しかし神経症的要求を持った人間にとって損失は単純に損失ではない。利益は単純に利益ではない。一口で言えば、神経症的な人間にとって利益は自分の心の葛藤を解決してくれるものなのである。利益は単純に利益以上の意味を持っている。



すべての人から愛され、認められる必要はない
自分を活かす心理学 (P.219)
(PHP研究所)

 自分が単なる一人の人間であるということが実感できれば、自分が会うすぺての人から好かれよう愛されよう認められようなどという馬鹿げたことを考えたりはしない。
 自分が人間であると実感している者は千年も万年も生きようとは思わないであろう。そんなことを願い要求する人がいるとすれば、それは自分が人間であることを拒否した人である。
 一千年、一万年も生きることを願い要求するということは普通の人はしない。しかしそれを要求するとすればおかしな人に違いない。
 自分が会うすぺての人から愛され好かれ認められようとすることは、それと同しことなのであろ。しかし神経症者はこれをおこなっている。だからこそ最初に書いたように、神経症者は自分が神でなければいけないと思い込んでいるということなのである。自分に対して人間であることを禁じているのである。
 逆に言えば、神経症者は自分が人間であっては生きていけないと感じているということでもある。精神分析や心理学の本などに時々、すべての人に認めてもらう必要はない、ということが書かれている。
 まさにそのとおりで、すべての人に認めてもらう必要などない。というよりも人間である以上、会う人すぺてがら好感を持たれ、認められ、愛されることなどできない。



他人の評価に頼る人は自分のために生きられない
自立と孤独の心理学 (P.21)
(PHP研究所)

 人の評価に頼ってしか生きられないことの欠点は、何か試練を前にして、「だめならだめでいいや」と思えないことである。失敗を恐れるのは、人の評価に頼ってしか生きられない人である。恥しがる人、自己執着の強い人、みな他人の評価に頼ってしか自分を維持できない人である。
 このような人にとって最も辛いことは他人から低く評価されることである。だがら失敗することを恐れて、いつも不安な気持ちにさいなまれている。そしていつも将来のことを心配している。敵意を抑圧しているのであろう。
 敵意を抑圧しているがら、それが投影されて他人が自分に好意的でないように思われるのである。さらに自分が何か楽しいことをすると罪の意識を覚える。つまりたまたまめぐりあった素晴らしい体験を楽しめない。
 他人の評価に頼ってしか生きられない人は自分のために生きられない。生きることを楽しめない。自分が生きることを楽しんでいるのでは何が物足りない。楽しむということは自分のための行動である。自分のために存在できない人は生きることを楽しめない。


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