加藤諦三の言葉 第19回 [2001/02/01]

他人は他人でしかなく、あなたを傷つける力など持っていない
自分に気づく心理学 (P.209)
(PHP研究所)

 自分の言った言葉が他人にどう受けとられているかいつまでも気にしている人がいる。あの人は気分をこわしたのではないか、そしてあの時のあの態度は自分を責めていたのではないか、あの時の私のあの言葉を、私があなたを嫌いだという意味にとったのではないか、いつまでもいつまでも気にしつづける人がいる。
 相手がもはやその言葉を忘れてしまってからも、ずーっとその言葉を気にしている人がいる。そういう人は実は我執の人なのである。すっかり自分のことだけにとらわれてしまっている人なのである。一口で言えば思いやりのない人である。
 もし相手のことを思う心のゆとりがあれば、その人は相手がもはや自分の吐いた言葉を忘れでいると気がつく筈だからである。相手が自分をわるく思うのではないかということばかり気にしていて、かんじんの相手そのものに対する思いやりが完全に欠如しているのである。
 相手に対する理解力がないからこそ、このようなことがおきてくるのではないだろうが。相手は自分の吐いた言葉など忘れて、今楽しく他の人と話している、あるいは自分の仕事に没頭しているということが理解できていないということである。
 相手の笑顔が何を意味しているか分かっていないということである。我執の人であれば我執の人であるほど、他人を誤解する。その人が防衛的になっていればなっているほど、他人への理解力はなくなっている。そうした意味でいえば、防衛的な人は他人に好かれようとするあまり、実際には他人の心をつかむことができなくなってしまっている人なのである。
 いつも自分を守ることを考えていないと不安になってしまうので、ついつい防衛的になってしまうが、他人のことを考えれば、他人がそれほど自分にとって脅威にはなっていないことがよく分かるであろう。他人を自分にとって脅威にしてしまうのは、ほかならぬ自分の防衛的な心の姿勢なのである。
 他人に対する思いやりができてくれば、他人はそれほど自分を傷つけはしないし、他人は自分を傷つけるだけの力を持っていないということも分かってくる。他人は他人でしかないのである。他人に心を開くと、そのことが分かってくる。



相手を傷つけることによって、自らの劣等感をカバーする男女
自分を活かす心理学 (P.32)
(PHP研究所)

 自分の男性性に自信のない男は、何の利害の対立もない女と張り合ってしまう。その女がたとえば目分の年齢とか肉体的魅力に劣等感を持っていると分かると、自信のない男はその年齢をもちだして棺手の女性を傷つける。
 そのことで、自分が男性らしくないと思われやしないがという不安を克服しようとする。また女性のほうも、自分が女性らしく思われないのではないかという不安を、相手が男性らしくないという弱点を責めることで克服しようとする。
 こうなると、お互いに傷つけ合うことになる。自信のある二人は決して傷つけ合うことはない。いたわりあう。しがし自信のない二人は張り合ってお互いを駄目にしていく。
 たとえばこの自分に自信のない男性は、この女性の年齢を責めながらも、自分より年をとっていることに安心している。また女性の肉体的魅力の欠如を責めながらも、無意識にこの女性がいつまでも肉体的に魅力のない存在であることを望んでいる。
 女性のぼうは女性のほうで、男性的強さの欠如、性的能力の弱さを責めながら、無意識にその弱さを望んでいる。弱いがらこそ目分の年齢に対する劣等感をカバーできるように思うからである。張り合って傷つけ合う二人というのは、相手の弱点を相手に思い知らせようとする。それでいながらその弱点がいつまでも相手の中にあることを無意識に望んでいる。神経症的競争というのはお互いに相手の不幸を求め合っているのである。



自分の愛情欲求から恋する人は、本物の恋を知らない
自分を活かす心理学 (P.57)
(PHP研究所)

 子煩悩であることと、子供を理解していることとは違うと言う。同じことは親子関係以外の関係でも言える。たとえば惚れているということと、恋人を理解していることとは違う。恋人の言うことに耳を傾けていない人のなんと多いことか。当の本人は恋しているし、それだけに相手の要求にしたがおうとしているが、全く相手の求めているものが分かっていないということがある。
 十分に機能していない人、自己実現していない人、生産的でない人は、恋人の要求しているものになろうと努めながらも、恋人の言うことに耳を傾けない。
 自分の愛情欲求から恋におちいる。しかしそれは自分の欲求であって、相手そのものに対する関心ではない。満たされない自分の欲求にばかり気が向いていて、相手そのものに関心がない。
 この人に自分は認められゑだろうがという関心であって、この人は何を求めているだろうかという関心ではない。この人に自分は認められるだろうがという関心は自分に対する関心であって、「この人」に対する関心ではない。
 小さい頃、親との関係で安心して自分をさらけ出せた人は、その安心の中で心理的に成長で己き、大人になってからもそれほど他人から拒絶されることを恐れない。
 独り立ちできる人は、独り立ちできない人より他人がら拒絶されることを恐れない。つまりそれだけ相手に気に入られようと気をつかわない。


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