加藤諦三の言葉 第148回 [2003/12/01]

心の何よりの特効薬は“自信”
自分に無理のない生き方 (P.19-P.22)
(三笠書房)

物理的なことがらにおいてはこれほどの知恵をもっている人類が、生きるすべについてはほとんど何も知らないというのは不思議な気がします。
悩みのタネというものは、成長した人間にのみつきまとうのではないようです。わたしたちは揺りかごの中からそれらとつきあってきたのです。
自分がくよくよと思い悩んで出てきた結果に従おうとしないのが、心配ごとの常のようです。悩みの渦中にあってさえ、わたしたちは自分を非難します。自制心を失うのではないかと恐れたり、またしても満足を得られないのではないかという不安が頭をもたげてきたり、といった具合なのです。
心配ごとの軍団の中で、この自信のなさこそが、いちばんの悪党なのです。何度でも犠牲を強いるそのやり口は、双子の悪魔、衝動の比ではありません。あらゆる混乱に際して、わたしたちは残忍な彼らにこれでもかこれでもかと攻めたてられるのです。
片方が、死んだようにゆっくりやれと忠告してくる。すると他方は、何がなんでも突っ走れ、といってくるのです。
その闘いは、わたしたちの聡明さとは関係ありません。しかし、不適応な人格のありとあらゆる特性を、その闘いは巻きこむのです。
ある分野では理想的でも、別の分野では根拠のない考えにつき動かされるということがあるものです。問題解決の策を得るのには何時間も費やすというのに、ばかな性癖が状況をぶち壊しにさせてしまったりするのです。
それでは、心配ごとがいつまでも続くから心配しているようなものじゃありませんか。



トラブルは、あると思っている人にしか見えない
自分に無理のない生き方 (P.42-P.44)
(三笠書房)

この十年間、自分がどんなことを悩んできたちょっと考えてごらんなさい。そして自分が、あの男か、あるいはリヴァプールの借家で栄養不良の子どもたちとともに夫の帰りを待っている彼の妻だったらどうでしょうかと、想像してみるのです。
あなたと同じ状況を与えられたら、彼の妻は、あなたと同じように動揺するでしょうか?
彼ならあなたの苦悩を真に迫って感じるでしょうか?
もし彼があなたと同じように新鮮な空気の中で働く特典があり、病気で余命いくばくもないという恐怖につきまとわれることがなかったら、彼はあなたと同じように悩むでしょうか?
衣食住と健康そして危険を別にすれば、事実自体に基づく動揺などないのです。問題はその事実を、わたしたちがどう見るかなのです。
わたしたちにとっての人生は、人生そのものではない。わたしたちにとっての人生は、わたしたちがそういうものだと思いこんでいる人生なのです。
わたしたちはその人生の上に自分なりの価値観を投影させ、想像上の目標を達成しようとあせるあまり、不満をつのらせて神経を消耗させるのです。さらには危険の幻に怯えるのです。
仮面をはがされると、混乱の多くは姿を消してしまいます。トラブルはしばしば、わたしたちがそこにあると思うから存在するのです。それをトラブルだと信じているからです。運命の流れにいかに反応するかは視点で決まります。



人生にもある“潮の流れ”を利用する生き方のすすめ
自分に無理のない生き方 (P.69-P.70)
(三笠書房)

「どこへ行く?」その人はやさしく質問しました。 「川を上がるんです」わたしは息を切らしながら言いました。 「わたしもだ……遠からずな」その声の何かがわたしの漕ぐ手をとめました。 「なぜ今じゃないんです?」不思議に思って訊ねました。 「潮が変わるのを待っとるんじゃよ。それに、夜になったら風も弱まるだろうと踏んどる」わたしはオールをおいて岩を這いのぼり、老人の傍らへ行きました。突然、ばかばかしいあわてかたをしていたのに気づいたのです。その時、彼の教えをしっかり身につけていれば、どんなに違った年月になっていたことでしょう。しかし、実際はそうはいきませんでした。神経の突きあげを無視し、人生の流れに無益に逆らうことに数十年も費やしてしまったのでした。潮の流れをむしろ利用することも学んだ時、人生の変化は魔法のようでした。心配を制御するのにたったひとつの助言をするとしたら、それは、緊張をほぐせ、あせるのをやめよ、つまり堂々めぐりのくよくよはやめてしまいなさい、ということになるでしょう。神経に過剰な責任を負わすような考えかたは放棄するのです。


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