加藤諦三の言葉 第106回 [2003/02/18]

“甘え”の要求に隠れた本当の気持ち
「思いこみ」の心理 (P.68-P.69)
(三笠書房)

 甘えの要求が満たされている人は、相手の欠点をはっきりと認識するが、同時に相手の長所も認識している。相手を全体として見られる。だからこそ相手とのつきあいを楽しめる。非現実的なほど理想的な人間像を相手に押しつけたりはしない。人間である以上、誰でも欠点はあるし長所もある。そして基本的に満たされている人は、相手の欠点が自分に耐えられないと感じれば別れる。そこが甘えの欲求が満たされないで、それを無意識へと追いやっている人とは違う。無意識に甘えの不満を持っている人は、不平をいいつつ別れない。もちろんそれにはもっともらし理屈がつく。あなたのためにとか、友情だからとか、いろいろ立派な理屈をつけるが、それらは皆本当ではない。別れないということの隠された真の動機は、依存心である。そのような人は、自分から楽しめない。相手から楽しませてもらおうとする。いつも受け身である。相手に誉めてもらいたいし、感謝されたいし、世話をしてもらおうとする。問題は相手の欠点にあるのではなく、このような心理が満たされないということにある。つまり相手の人柄とか、企画の性質とかに因縁をつけているにすぎない。このような人を満足させることはできない。満足させようとすれば、企画の場合なら、それは不公平なほど特別にその人を扱うしかない。人の場合なら友人ではなく、友人の顔をして母親の役割をするしかない。



“自分らしさ”は一体自分のどこにあるのか
「思いこみ」の心理 (P.77-P.78)
(三笠書房)

 強迫的に完全主義の人は、生きるのがしんどい。生きるのがしんどい人は、楽天的な人と自分とを比較して、どこが違うかをよく観察してみることである。楽天的な人の感じかたと、自分の感じかたとどこが違うかを、よく見つめることである。楽天的な人にも完全主義の人にも、人にはそれぞれ弱点がある。そこで自分にある楽天的な人と同じ弱点があったら、自分ならどのように振舞うかを考えてみることである。そのように自分を見つめていけば、自分の人生をつらくしているのは、実際の自分が持っている弱点ではなく、実際の自分の弱点についての自分の感じかたであるということがわかるであろう。また、生きるのが苦しそうな人をよく観察するのである。その人の感じかたの特徴は何かを、よく見ることである。その人はなぜ苦しんでいるのかを考えるなら、案外その原因がわかる。自分のことだとわからないが、人のことだとよく見えるものである。そしてその見えたことが、自分に当てはまらないかを考えてみると、それがよく当てはまったりする。そして自分がなぜ生きることを苦しく感じるかがわかれば、少しは生きることが楽になる。



“青い鳥”を追いかける人の心理
「思いこみ」の心理 (P.105-P.106)
(三笠書房)

 一日にいろいろなことをやろうとする人がいる。Aという人に会いたい、Bというところに行きたい、Cという仕事をしたい、Dというスポーツをしたい、せっかくこんないいところにいるのだから、ここでのんびりと休養したい等々。
 一日二十四時間、一つの体でできもしないことをしようとする。すると何をしていても、気があせる。こんなことをしていないで、早く次に移らなければとあせる。何一つ腰を入れて充分にすますことができない。
 神経症者は諦めることができない。一日二十四時間だから、AとDは諦めて今日はBとCだけしようと考えない。現実の自分の制約を認めない。ABCDすべてに執着する。どれも諦めきれない。現実の制約を受け入れないから、結局何一つ満足にできない。
 すべてに執着するということは、裏を返せばどれにも満足できていないということである。あれはできなかったが、これはできたという満足感があれば、そんなにあれもこれもとあせらないに違いない。あの青い鳥の物語である。いま自分のしていないことのほうが、素晴らしいに違いないという気がする。いま自分のしていることによって、不安が解消されていないからである。
 つまり、自分のしていないことが素晴らしいことに思えるのである。釣り逃した魚は大きいという。その感じかたである。また神経症者は人をうらやむ。人ばかりでなく、自分ができなかったことの素晴らしい面と、自分がしたことの悪い面に注意が集中する。



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