自分のイメージを改善していくのに必要なことはまず第一に、頭の中に望ましい自分を想像することである。自分は強くなれる、そう書いた紙をさいふの中に入れておいたりすることももちろん効果がある。第二に必要なことは、人的環境を変えることである。つまり自分はなぜ自分について否定的なイメージを持ってしまったかということを考えれば、人的環境を変える必要性はわかるであろう。あなたはあなた自身の言動によって自分のイメージをつくってきたのではない。小さい頃あなたの言動に対する周囲の人間の反応によって、あなたのイメージをつくってきたのである。あなたは自分に失望しているとする。しかしそれは、小さい頃あなたの言動にため息をついて失望した親を見て、あなたはあなたに失望したのである。同じ言葉を言っても、もし他の大人であったら、あなたを励ましてくれたかもしれない。そしてあなたは自分に希望を持ったかもしれない。あなたが自分に失望しているとすれば、小さい頃からあまりにも多くの失望した人間に囲まれて生きてきたのである。もしあなたが消極的であるならば、それはあなたがあまりにも多くの消極的な人間に囲まれて生きてきたためである。
自分を卑しめる者を「憎んで遠ざける」、これは身につけるべき態度であろう。憎んで近づいては自分を卑しめる人間に支配されることになってしまう。いかに多くの人が怒りを自分の中に閉じこめ、そして本来怒るべき対象でもないものに、その閉じ込められた気持ちを向けていることだろうか。他人の不幸への関心、スキャンダルへの関心、それらはみな怒りが本来向けるべき対象に向かわずに、置きかえられて代理のものに向かった現象ではなかろうか。本来怒りを向けるべき対象に向ければ、前述の学生をいじめたようないやらしいひねくれた人間にならなくてもすむのである。"The Matured Mind" という本を読んでいたら、この代理の対象のことを「けっとばしやすい椅子」と書いてあった。弱い者いじめなどというのは、まさに怒りを本来向けるべきところに向けられないでけっとばしやすい椅子をけっとばしているということであろう。
あせりは、どんどんと仕事を片づけていかなければ、他人に受け入れてもらえないと感じているから感じるものである。もっと食べて栄養とって、もっと元気になって、もっと丈夫になって、もっと勉強して、もっと運動して、もっと健康になって、もっと仕事して、もっと、もっと……そして、もっと他人に受け入れてもらう。もっと、もっと、というあせりの中心にあるのは不安である。もっとぐっすり眠って、もっと体を快調にして、もっと、もっと、というのは不安だからである。他人に受け入れてもらえないという不安がたえずあって、その不安からせきたてられているのである。そして、もっと、もっととあせるから、結局はなにをやっても能率が上がらない。もっとぐっすり眠ろうとするから、かえって眠れない。あせればあせるほど、自分の能力は低下するばかりである。低下すればするほどよけいあせる。もっと、もっとが、自分の欲求であるならばまだ救われる。しかし、そのもっと、もっとが規範なのである。もっとのあとが「ねばならない」と続く。もっと栄養をとらねばならない。そして、もっと健康にならなければならない。もっと運動しなければならない。もっと仕事をしなければならない。