そして自分の心の中で自分の立場がはっきりとして自信があれば、人が自分をどう扱うかで不愉快になったり喜んだりということもない。上を向いたり、下を向いたり、左を見たり、右を見たり、後ろを見たり、前を見たり、周囲をキョロキョロしている人が心理的に不安定なのである。他人のする仕事をうらやましがるのではなく、自分のする仕事をしっかりと見つめている人が、心理的に安定しているのである。他人が自分のことをどう思っているか気になってしかたがないという人は、自分が自分を好きになれていないのである。では、自分が好きだと人のことが気にならないのはどうしてだろうか。好きな恋人のことを考えてみよう。恋愛がうまくいっているとき、そんなときに自分の恋人と他の女性とを比較するであろうか。自分の恋人は他の女性と比較することができないであろう。他の女性も素晴らしいが、それとは比較することのできないのが恋愛しているときの恋人である。それと同じことが自分についても言える。自分が自分とうまくいっているときには、自分を他人と比較しない。
「らく」な生き方をする人と、不安で張りつめた生き方をする人がいる。客観的環境はそれほど恵まれているというわけでもないのに、毎日楽しそうにしている人がいる。ものごとにこだわらない、他人の思惑を気にしない、のびのびと生きている。そしてなにか生き方に確実なものを感じさせる。生きる姿勢がはっきりしているとでも言ったらよいのだろうか。これこそ自分の生き方だというような生き方をしている。自分の仕事になんの不安もなく自分を捧げている。それでいながら、人間関係が豊かで、いつも羽をのばしているようである。他方には、いつも青い顔をして、一瞬の気のゆるみもないような感じの生き方をしている人がいる。その人を見ているだけでこちらが疲れてしまう。あらゆることに小心な過敏さで激しく反応する。活きることがつらくて、どうしてよいのかわからなくなっているようである。理由もないのになぜかおびえて、なにかをいつも警戒している。 「らく」に生きている人は、重大なことがらを目前にしても、楽しく他人と笑いながら食事をし、熟睡している。ところが、「つらく」生きている人は、たいしたことでもないのに、心配して眠れなくなる。騒がなくてもいいことを騒いでしまう。いつも用心深く身構えているのに、悪いことがその人たちにおきているようである。
人間は自分を大切にする程度にしか他人を大切にできないし、自分を信頼していない人は、他人を信頼していない。自分とうまくつきあっている人こそ、他人とうまくつきあっている人なのである。たとえば自分の弱点をカバーしようとして他人を非難する人がいる。こういう人は他人とうまくやっていかれない。その原因は自分とうまくやっていけていないからであろう。つまり自分を尊敬できる人だけが、他人を尊敬できるのである。否定的人生観の持ち主にとって、他人とうまくやるということは、自分の本性を抑えて他人の期待にそうように努力するという意味なのである。しかしこれは、自分との関係も、他人との関係もうまくいっていないということである。そのような人は他人と深い心の交流もないし、自分に対していつもイライラしているか、生きる気力を失ってしまっているからである。自分の本性を抑えてしまっている人は、他人への思いやりもない。他人との深い感情の交流を持っている人というのは、自分で自分を受け入れている素直な人である。