66. “イヤだけど好き”の心の深層とは?(『自分に気づく心理学』)

『自分に気づく心理学』より

隠された甘えの欲求があると、相手に対して両価的(両立しない矛盾した感情をいだく)になる。離れられないけど、一緒にいると不愉快だとか、気は楽だけど重苦しい気分になるとが、いやだけど好きだとかいった矛盾に苦しむことになる。
 
隠された依存の欲求がなくなれば、離れられない人といると愉快だし、気が楽な人といれば」気は軽いし、嫌いな人は嫌いだし、好きな人は好きである。たとえ依存の欲求があっても、それを自覚できればより両価的でなくなる。両価的感情の対象にされた人はたまらない。そんなにいやなら“ほっといてくれ”と言いたいのだが、しつこくからんでくる。
 
その人達は愛に飢えているのである。しかしその飢えを自覚できないでいる。自覚なしにそれを満たぞうとするから、道徳だとか、愛情だとか、冷たいとか、人間としてそんなことはできないとか、いわばいいがかりをつけてくるのである。
 
「かわき」を自覚できることが、ある種の心の病の回復には決定的に重大である。自分は本当はかわいているのだ。飢えているのだ。求めているのだ。どうしようもなく自分は飢えている、このことに気がつくことが、大切なのである。
 
肉体の場合には誰でもが自分の実際の姿に気づいている。食ぺものに飢えている者は、自分が飢えているということを知っている。しかし、愛に飢えている者は、必ずしも自分は愛に飢えているとは気づいていない。
 
逆に自分は愛に満ちたりていると感じている。そこが愛と性の違いでもあろう。

前のページ <著作からの抜粋> トップページ 次のページ