オサマ・ビンラディンの死について 第3回 [2011/05/15]

人生の負担を前にして、人は?
正義と憎しみの構造 ― オサマ・ビンラディンは十六歳の少年だった!? ― 」(PHP研究所)

人生の負担を前にして、大人も「確実性と防衛と愛情を与えてくれる力を、狂気のごとく希望することよりも、より自然なことが人間にありえようか?」(フロム)となる。

唯一の神アッラーの前にひれ伏すのがそれを表している。
唯一の神アッラーに一体化することで自分を防衛をしているのである。
唯一の神アッラーに一体化することで、予測不可能な人生に確実性を求めているのである。

それはフロムの言うごとく、確実と安全を求めること「より自然なことが人間にありえようか?」と言えるのではないだろうか。
ただしこれはあくまでも自己実現型の人ではない。

オサマ・ビン・ラーデンは自分の行動の動機を「宗教的信念」と主張しているようであるが、この宗教的信念というのが「母なるもの」の代理満足である。

そしてこのオサマ・ビン・ラーデンのアメリカ人を殺すという情熱こそがフロムの言う「母親に対する愛着 −一般人には滅多に完全に克服されない愛着− には巨大なエネルギーが内包されている」と言うエネルギーのことである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室