心理的健康について 第53回 [2002/02/09]

第9章 神経症的競走1(3)

 私は神経症者が最初に張り合うのが身近な人であるという気がする。自分が苦労して何事も達成されないと身近な人にけちをつける。身近な人に文句をいって気を晴らしている。
 とにかく神経症的競走をしている人は他人の成功、失敗が気になる。他人の結婚、離婚が気になる。他人の成功が面白くない。自分の価値を下げると感じるからである。自分と他人を対立して考えるからである。人が何処に旅行に行ったかが気になる、隣の芝生が気になる、隣の家の二階が気になる。
 約三十年前初めてアメリカ大陸を車で東から西へ横断した時である。アメリカのプールで下手な水泳をしている年寄りを見て感心した。同じプールで若者がかっこうよく泳いでいるが、年寄りは自分の下手な泳ぎ方を気にしない。自分を知って神経症的競走をしていない人々である。

 この神経症的競走は競馬の騎手みたいなもの、この態度は物事への真の興味をなくすとカレン・ホルナイは言う。しかし私は競馬の騎手はまだいいと思っている。なぜなら騎手は目的がわかっているからである。
 競馬の騎手で馬が何かにぶつかるまで走るのが神経症的競走だと私は思っている。神経症的競走をして社会的に挫折した人は、とにかく走って馬から落ちた騎手である。しかも「何で落ちたか」分からない。そして自分が落ちたことを馬のせいにする様な騎手が神経症的競走をしている人である。
 夢中で走った馬もエネルギーを無駄に使い、落馬した騎手も怪我をした。こんな愚かなことをしているのが神経症的競走をしている人々である。
 人生で大事なことは、自分は今何をしているのかを考えて行動することである。今、行動していることが、自分の目的につながるようにするのが賢い生き方であろう。

 神経症的競走をする人は音楽会に行っても音楽を聴くことよりもどのような席で聴くかの方が重要になる。結婚式では新郎新婦をお祝いすることよりも、席順が重要になる。それが神経症的競走は人々に物事に真の興味を失わせるということである。



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加藤諦三、加藤諦三研究室