心理的健康について 第49回 [2002/01/10]

第8章 神経症的自尊心(5)

自分が普通の人になってしまうと心の葛藤と直面しなければならない。つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。それに耐えられない。
 しかし自己を栄光化することが出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。心に葛藤のない人、心理的に健康な人は普通の人であることに耐え難い屈辱感を味わうことはない。普通の人は神経症的自尊心の強い人とは違って心が満足しているのである。だから心の葛藤を解決するための名誉やお金や権力はいらない。心の葛藤がないのだから。
 普通の人は楽しむためにお金を必要とする。しかし強迫的にお金を必要としない。食べて行かれればそれ以上はなければないでやって行かれる。しかし神経症的自尊心の強い人はそうはいかない。それ以上のお金が必要なのである。
 神経症者が先ず勘違いをしているのは、普通の人は心が満足しているということである。神経症者は心に空洞があいている。この空洞を神経症者はうめなくてはならない。ところが普通の人はこの空洞がない。だから「空洞」に何かを入れる必要がない。
 神経症者はこの空洞に名誉とかお金を入れなければ生きて行かれないのである。入らなければ、イソップ物語のキツネのように「あの葡萄は酸っぱい」と言い訳をしなければならない。
 心理的に健康な人でお金とか名誉とかを持っている人がいる。しかしそれは空洞に入れるために獲得したものではない。していることが楽しいからしている内に結果として手には入ったものである。だから「もっと、もっと」と言う際限のない強迫的要求がない。心理的安定のために必要な権力や名誉ではない。
 また名誉を得て、鼻持ちならない人を考えてみよう。なぜ名誉を得て、鼻持ちならなくなるのか。偉い官僚で鼻持ちならない人もいれば、普通の人もいる。大きなダイアモンドをつけて、鼻持ちならない女性もいれば、普通の女性もいる。
 それを理解するために心の空洞を体重にならって考えてみると分かる。体重にならって心重とでも言ったらいいだろう。普通の人は心重が70キロである。しかし鼻持ちならない神経症者は空洞があるから60キロである。そして心の安定のためには心重は70キロなければならない。そこで神経症者はどうしてもあと10キロ必要なのである。
 神経症者は名誉で10キロを得た。そこで自分は人と違って10キロ多いと思っている。そこで普通の人と同じに扱われると怒る。もともと自分の心重が普通の心理的に健康な人よりも軽いと言うことに気がついていない。



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加藤諦三、加藤諦三研究室