本当の自信をつける機会がなかった彼等は人の上に自分を引き上げる衝動だけを発展させてしまう。しかし虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。「こうなって皆に一泡ふかせたい」という願望ばかりが強くなって、自分の可能性を追及する姿勢はどんどんなくなる。自分の素直な感じ方が次第に出来なくなってくる。服を一つ着るのにも、「どうだ、凄いだろう」と言う、人を意識したことばかりが、彼の心を支配するようになる。現実の自分の感じ方や、考えは重要でなくなる。周囲の評価をねらっていると、いつになっても本当の自信は身につかない。
青年が一人前の口を聞きたがるのはこの心理である。「21歳の大学生」や「17歳の高校生」が世の中が分かっているはずがない。それを恥じることなどどこにもない。しかし神経症的になってくると、これが逆になる。自分が「21歳の大学生」や「17歳の高校生」であると言う現実を忘れて、世の中が分かったようなことを言いたがる。つまり神経症的自尊心とは、「21歳の大学生」で社会人としての何の実績もないけど、社会人として優れた実績をあげた人と同じ様な口を聞きたがる心理である。
「俺は、こんな苦しいことを我慢して、ここまで頑張って生きて来た」という実際の体験を元にして心の中にでき上がる心理的安定ではなく、実際には何もしていないのに、「俺は偉い」と思おうとする心理である。自信に到達するのに特別のバイパスを通って行こうとしている。だからいつになっても本当の自信が出来ない。
そして彼は奥さんや恋人から特別に偉い人として扱ってもらえることを期待する。彼は人から、特別の注目を獲られるものと期待する。自分を特別に扱わないと不公平に扱われたと感じる。そこで怒りだす。彼は「自分はいつも人より特別に扱われるような資格があると思っている」とカレン・ホルナイは言うが、私はそれよりも自分が生きてきた道を彼は心の底で納得して居ないから「すぐに怒る」のだと思う。
自分が自分の生き方を納得していないから、周囲の人に偉大な人間として扱ってもらいたいのである。つまり神経症的自尊心の強い人は虚勢を張って威張っているが、心の底では人が羨ましい。
何よりも現実の自分と内面の壮大な自我像とが調和しない。そうすると何処か現実がおかしいと思い出す。他人は自分をその様に立派な人として取り扱わない。他人は自分を普通の人として取り扱う。すると酷く侮辱されたように感じる。自分が侮辱されることには敏感だが、自分が他人を侮辱していることには極めて鈍感である。それは他人を侮辱することで心が楽になるから、自分の心を楽にすることばかりに気を取られているから、他人の心の傷には鈍感なのである。
自分が他人を扱っているのと同じように、自分が他人から扱われるとものすごく怒り出す。傲慢であればあるほど傷つき安いと言うのはそのことである。
他人はその人をその人が思っているほど凄い人だと思っていない。すると他人はその人を凄い人として扱わない。普通の人として扱う、すると、もの凄く傷つく。攻撃的な人なら、猛然と怒り出すし、内向的な人なら傷ついて自分の中に閉じこもるかも知れない。そして恨みに思うであろう。
こういう人に「あなたは立派です、周りが悪い」と言う宗教があれば彼は心ひかれて入信して行くだろう。こつこつと地道な努力をしている若者にはない心理である。