相手に合わせるのにも、愛情や思いやりから相手に合わせる人もいれば、自分を守るために迎合から相手に合わせる人もいる。
自分の意思で他人と円満にしようとする人は良くできた人であろうし、良い人と思ってもらいたくて円満にしようとする人は情緒的に未成熟な人であろう。保護を求めて相手と円満にしようとする人は、自分の意思でしていないから、相手に折れたぶんだけ憎しみが出る。
「いい人」を止めれば楽になると言ったような奇妙なタイトルの本が出版される。なぜこんな不思議なタイトルが出てくるのか?それは「いい人」になる動機を私たちが考えていないからである。
フロムは神経症の一症状(註:a symptom of neurosis, Erich From, The art of Loving, Harper & Publishers, Inc. p511、愛するということ、懸田克躬訳、紀伊国屋書店、84頁 1959/1/26)としての神経症的非利己主義(註:neurotic unselfishness、Erich From, The art of Loving, Harper & Publishers, Inc. p511、愛するということ、懸田克躬訳、紀伊国屋書店、1959/1/26)と言うことを言っている。この非利己主義には愛がない。神経症的非利己主義の人は常に見返りを求めている。神経症的非利己主義の人は立派に見えるけれども神経症者ということである。
フロムはこの神経症的非利己主義と関連した症状として、例えば抑鬱、疲労、働くことへの無能力、愛の関係の失敗というような症状にも悩んでいることをあげている。
ようするに非利己主義的な行動をする人の中にも心理的に健康な人もいれば、神経症者もいる。